交通の要所だったことがうかがえる道標

庚申道標は寛政7年(1795年)11月に、日光へと続く日光東往還へ通じる小金佐倉道と木下・行徳を結ぶ木下街道の交わる十字路(現在の大仏十字路)脇の塚上に建てられたものです。
この塚は、小金佐倉道の一里塚でした。
この庚申道標は、塔の正面に「青面金剛王」、台座の正面には「三猿」が彫られ、台座側面には「東さくら道」、「西こがね道」と彫られており、庚申塔と道標を兼ねていました。
庚申道標が建てられていた小金佐倉道は、成田街道の大和田新田から古和釜・道野辺を経て小金・柏の間で水戸道と交差して日光東往還に連結する道でした。
近年では、都市化の進行とともに市内の道路網はかつての様子とは大きく変化しており、古くからの道はすでに脇道的な存在になっているものや消滅しているものも少なくありません。
開発が進むにつれて、当時の様子を示す資料は年々少なくなっている状況の中、場所は移されても現在も残っている道標は貴重な資料と言えます。