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【相撲コラム第一弾】大相撲の最高位「横綱」と力士の順位「番付」について

2025(令和7)年日本相撲協会は財団法人設立100周年。10月7日東京・両国国技館で記念行事「百周年場所 古式大相撲と現代大相撲」を30年ぶりに開催。大相撲人気をけん引中の大の里、豊昇龍の両横綱は「三段構え」を披露しました。ロンドン公演も大成功!
相撲コラム第1弾として、今回は、大相撲力士の最高位「横綱」と毎場所ごとに発表される「番付」について取り上げます。
~「横綱」とは~

第7代横綱 稲妻 雷五郎
横綱在位 文政12年10月~天保10年11月(1829年10月~1840年11月)
現在の大相撲は2人の横綱、大の里(おおのさと)と豊昇龍(ほうしょうりゅう)の「大豊時代」到来!東西の横綱が揃い更に注目が集まっています。新大関の安青錦(あおにしき)は、2025年11月九州場所優勝インタビューで「もう一つ上の番付(横綱)があるので、そこを目指していきたい」と答えています。すべての力士が目指す頂点が「横綱」です。
『横綱』は、現在の大相撲における力士の最高位です。もともとは、大相撲の家元である吉田司家から『横綱』の免許をいただいた『大関』に対する称号として呼ばれていました。(番付上の最高位はあくまで『大関』でした。)
明治42年(1909年)からは、番付の最上位に『横綱』欄が設けられ、横綱が独立した最高位として明文化されました。
『横綱』という力士にふさわしい品格を備え、抜群の強さを持つものだけに与えられます。綱取りをめざす『大関』から『横綱』への昇進については、特別に横綱審議委員会に諮問(しもん…お伺いして相談する)し、その答申を受けて、日本相撲協会が決定します。
『横綱』の名前の由来は、「しめ縄」といわれています。「しめ縄」には、神様の領域と、わたしたち人間の住む領域を隔てる結界の役割があり、「しめ縄」を横に張って領域を分けていることが「横綱」を呼ぶ語源とされていて、また横綱の土俵入り(十両以上の力士が土俵上で行う儀式のこと)時に腰に締める「白麻で編んだ太いしめ縄」のことを「横綱」といいます。『横綱』の土俵入りは特別に「横綱土俵入り」や「方屋入り(かたやいり)」といわれています。『横綱』の別称があり、天下無双であるという意味を込めて「日下開山(ひのしたかいさん)」と呼ばれることもあります。
◇成績と品格が問われる立場
『横綱』には、力量が抜群、成績優秀と品格が必要とされています。『横綱』への昇進の目安は、「大関の地位で二場所連続の優勝か、それに準ずる成績」とされています。最近では、大関昇進目安レベルの33勝で『横綱』昇進が決まった「豊昇龍」の例もあります。その他、優勝を逃したとしても優勝に準ずる成績を残せば、昇進の可能性もあります。
※横綱・大関に昇進する力士は、伝達式において「口上」として決意や目標を述べます。口上には、それぞれの力士たちの思いや人柄・品格が表現されています。後々のコラムで紹介したいと思います。
◇歴代横綱一覧
歴代『横綱』の一覧表は下記の日本相撲協会公式サイトから参照できます。『横綱』という地位ができた江戸時代、初代「明石志賀之助(あかししがのすけ)」から明治、大正、昭和、平成、令和の第75代「大の里泰輝(おおのさとだいき)」まで、6つの時代を彩る名前は、日本相撲協会ホームページからチェックください!出身地や優勝回数などもチェックできますよ!
歴代横綱 – 日本相撲協会公式サイト(https://www.sumo.or.jp/Yokozuna/yokozuna/)
◆葛城市相撲館「けはや座」では、昨年(令和6年)企画展「歴代横綱展」を開催しました。
展示期間:令和6(2024)年4月27日(土)~令和6年9月30日(月)まで
展示場所:葛城市相撲館「けはや座」
企画展「歴代横綱展」/葛城市(https://www.city.katsuragi.nara.jp/material/images/group/23/111111.jpg)
~相撲の「番付(ばんづけ)」とは~
力士の階級は、毎場所発表される「番付」によって決まります。「番付は生き物」と称されるように、昇進・降格に関して運不運があるといわれています。
日本相撲協会に所属する力士の数は、時代や時期にもよりますが、現在約600名です。
力士は階級により待遇面が異なります。大きく分けますと十両以上の『関取』と幕下以下の「取的(とりてき)」です。「取的」とは、幕下以下力士の俗称でありますが、主に『序二段』以下力士を指します。
『関取』の定員は70名で、毎月給料や報奨金が支給され、本場所では15日間にわたり相撲を取るなど、一人前の力士とみなされます。その他にも羽織・袴の着用、絹の締め込み、化粧まわしを付けての土俵入り、白の稽古まわしが許され、身の回りの世話をする幕下以下の力士が付き、部屋では個室が与えられます(十両力士28名、幕内力士42名)。
※下記のピラミッド参照

◇「番付」の決まり方
番付は、本場所終了後3日以内に行われる「番付編成会議」によって作成されます。
この会議には、相撲協会の審判部の親方衆(審判部長が議長をつとめる)で構成されています。行司も書記として参加しますが発言権はありません。
「3日以内」となっていますが、基本的には日曜日の千秋楽が終わった3日後の水曜日に開かれています。この会議によって本場所での力士の成績がそれぞれ評価され、翌場所の番付が決定されます。
番付発表は通常、翌場所の初日13日前となっていますので、そこまでは極秘扱いとなります。ただし、使者によって昇進が告げられる『横綱』や『大関』に加えて化粧まわしなどの準備が必要となる新十両昇進力士については、番付編成会議当日に公表されています。番付発表は各場所初日は日曜日ですので、初日の13日前ということは原則的には2週間前の月曜日となります。
「番付」は本場所の成績を基準として、番付編成会議で決定します。
取組のことを「本割(ほんわり)」と言います。優勝決定戦は本割には含まれません。優勝同点の力士同士はどちらも同じ成績として評価されます。
番付は、原則1点の勝ち越し(8勝7敗)で1枚、3点の勝ち越し(9勝6敗)で3枚上がります。逆に1点の負け越しで1枚、3点の負け越しで3枚下がります。ケガなどによる休場は負け扱いになります。
例えば、7勝3敗5休では1点の負け越しとなります。幕下以下は7番のみですので、1点の勝ち越し(4勝3敗)でも大幅に上がり、1点の負け越し(3勝4敗)でも大きく下がります。この現象は下位の地位ほど顕著に表れます。番付には周りの力士の成績により運不運があり、番付発表まで力士の心境は察するものがあります。最高位の『横綱』には降格はありません。しかし、成績不振が続くと横綱審議委員より引退勧告を受ける場合があります。
※「〇〇枚、〇〇枚目」とは階級ごとに順位をわかりやすく示したもので、数字が小さくなるほど上位にいることになります。尚「1枚目」ではなく「筆頭」と表現します。
幕下15枚目以内での全勝は内規により翌場所の十両昇進が確約されます。三段目以下での全勝は枚数問わずに翌場所には上位の地位に上がります。
~番付表と相撲字~
毎場所かわる「番付」は、力士の階級順位。力士や、年寄・行司らを1枚の紙に、階級別に一覧にした印刷物が『番付表』です。原本は毎場所、行司の手書きによって作成されています。
『番付表』の原本は「元書き」といい、縦110cm、横80cmのケント紙に書かれ、それを約4分の1に縮小印刷して一般販売されています。誕生初期の番付は東西を別々に刷り、2枚で1組となっていました。
宝暦7年(1757)10月になって江戸で現在のような一枚形式の番付が登場し、江戸相撲ではこの形式が定着しました。京都相撲と大坂相撲では、その後も明治時代の時期まで、東西が別々の二枚形式の「番付」が使用され続けていました。その後、江戸相撲興行が勢いが盛んに栄えたことに伴い、一枚形式の『番付表』が定着し、現在にいたっています。
◇相撲字について
行司が担当している『番付表』に記載される文字は独特の『相撲字』というものです。
行司は『相撲字』で、隙間なく太く書くことで「お客様が会場に隙間なく入るように」という意味が込められています。江戸時代から『番付表』などを発行していました。大正5年から行司が番付書きを担当するようになりました。
◇相撲の番付表の読み方
『番付表』は上位者ほど大きく太く、地位が下がるにつれて格ごとに小さく細く書かれます。向かって右に東方、左に西方の力士の名が右端の横綱から左へと順に並んで記載されています。それぞれに実力が似通った力士同士が東西対称に配置されます。東と西の違いは、東方優位ではありますが、本来は東西同等の立場です。
縦は5段に分かれ、最上段に幕内力士、2段目に十両と幕下、3段目は三段目、4段目に序二段、5段目に序ノ口と年寄、呼び出し、若者頭、世話人の名が並んでいます。呼出の左側に床山(とこやま)も番付表には載っていますが、特等床山と一等床山のみです。中央には「蒙御免(ごめんこうむる)」と太い字で書いてあります(下記の「蒙御免」の意味参照)。
◇番付表の発表日と購入方法
「◇番付の決まり方」でもふれましたが、番付発表は通常、翌場所の初日13日前となっていますので、そこまでは極秘扱いとなります。ただし、使者によって昇進が告げられる横綱や大関、加えて化粧まわしなどの準備が必要となる新十両昇進力士については、番付編成会議当日に公表されます。各場所初日は日曜日ですので、初日の13日前ということは原則的には2週間前の月曜日となります。翌日から番付表の販売が開始されます。
※令和5年十一月場所の星取表以降、当面の間、国技館では番附表と星取表の販売は行いません。販売は通信販売のみです。通信販売については事前予約が可能となります。通信販売でのご購入は以下ページよりご確認ください。
日本相撲協会公式サイト 大相撲グッズ(https://banzukeya.jp)
◇木製看板の番付表を見るには
大相撲の場所前に、両国の東京・国技館入り口近くの櫓(やぐら)に、木製の看板の板番付(いたばんづけ)が掲げられます。「板番付」とは、主に大相撲興行で、宣伝を兼ね力士の階級順位である「番付」を木製の板に墨で書かれたものです。
板番付の屋根にあたる部分は「入」の形に組まれていて、「入屋根形(いりやねがた)」といわれており、大入り満員を願ったものだそうです。板番付は本場所が始まる直前に、こちらも行司の手で書かれます。板番付については、日本相撲協会でも、いつ頃から作られていたかは明らかにはなっていないそうです。遅くとも元禄年間(1688~1704)には、板番付(木の板に墨書した番付)を興行場の入口に掲げていたことがわかっています。
番付表にある「蒙御免」って、どういう意味があるのでしょうか!
番付表に書かれている「蒙御免」とは、「ごめんこうむる」と読みます。
番付(板番付、番付表とも)の中央一番上は「蒙御免」の文字が書かれています。江戸時代に相撲興行を行うときに寺社奉行等から、興行許可を得たことを示しており、当時の名残なんだそうです。
「板番付」は葛城市の2か所(葛城市相撲館「けはや座」と葛城市観光案内所)で見ることができます。
※下写真は、平成24年に開催された「大相撲葛城場所」の板番付で葛城市観光案内所にあるものです。

葛城市相撲館「けはや座」にも本物の「板番付」と「番付表」があります!
寄贈資料を中心に12,000点以上の相撲関連資料を所蔵、常時1,000点程度展示しています。
葛󠄀城市相撲館「けはや座」について
相撲の開祖「當麻蹶速」を顕彰する目的で平成2年の5月にオープンしました。
館内には本場所と同サイズの土俵があり、小学校の遠足等によく利用されます。
展示土俵であるため自由に上がることができ、来館者に人気があります。
また、所有資料も約12,000点あり、書籍類をはじめ、番付や星取表なども充実しており、学生のレポートや相撲愛好家によく利用されます。企画展なども開催しています(2025年10月27日月曜日~2026年3月30日月曜日まで企画展「大型力士展」開催中)。
海外の団体ツアーや、社会見学、遠足なども承り中です。ご相談ください!
営業時間: 10:00~17:00(休館日 毎週火曜日・水曜日)
入館料: 大人(16歳以上)300円 小人(小学生・中学生)150円
※団体割引(20名以上が対象): 大人(16歳以上)250円 小人(小学生・中学生)120円
◇葛城市相撲館「けはや座」では、図録「葛城市相撲館けはや座」を発刊ご案内
同図録は、開館30周年記念事業として発刊いたしました。相撲の歴史・文化を伝えるとともに当館所蔵資料を紹介しております。また相撲の起源から現在までを所蔵資料を交えて解説しています。
図録「葛城市相撲館けはや座」は相撲館で購入できます。(1冊税込み300円)
奈良県葛城市當麻83番地1
電話番号:0745-48-4611
■参考資料
『相撲大事典』(2002年刊・金指基著 日本相撲協会監修 現代書館発行)




