木造建築の傑作

明治13年(1880年)9月に完成した岩科学校は、日本の伝統的な社寺風建築様式に曲線を描く白いバルコニーなど洋風を取入れた擬洋風建築の傑作で、日本では甲府の旧睦沢学校、松本の旧開智学校などとともに文明開化を象徴する学校建築として知られています。
岩科学校が建設された当時、松崎では村内の教育振興熱く、校舎建築のために集められた寄付金は総工費の4割余りをまかなうほどでした。

明治13年(1880年)9月に完成した岩科学校は、日本の伝統的な社寺風建築様式に曲線を描く白いバルコニーなど洋風を取入れた擬洋風建築の傑作で、日本では甲府の旧睦沢学校、松本の旧開智学校などとともに文明開化を象徴する学校建築として知られています。
岩科学校が建設された当時、松崎では村内の教育振興熱く、校舎建築のために集められた寄付金は総工費の4割余りをまかなうほどでした。

正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は最後の太政大臣として知られる三条実美の書で、その上に彫られた龍の彫刻は松崎町出身の左官で芸術家でもある入江長八によるものと伝えられています。
また、2階西側の「鶴の間」の欄間には、長八によってほどこされた千羽鶴が日の出のごとき紅い床の間を目指して飛翔する姿を見ることが出来きます。
庭内にはかつての岩科村役場であった建物が移築され、休憩処「開化亭」として利用されています。
同じく庭内には岩科小学校の校訓である4文字の標語「岩科起て」が高札のような形で掲げられています。
岩科小学校は、現存する伊豆地域最古の小学校として昭和50年(1975年)に国の重要文化財に指定され、現在は昔の教科書や農具の展示、授業風景の再現等の資料館となっています。
