はるか太平洋の彼方を見つめる龍馬像

坂本龍馬先生銅像建設由来記

海の男としてたくましく生きた坂本龍馬先生の永遠の姿をわれわれはこの銅像に見る。
海援隊を創設し、薩長同盟を成立させて土佐藩を倒幕派陣営に誘い、将軍の政権奉還による王政復古を見るまで33年の生涯は凶刃のために血潮に染められたが、先生の起案した船中八策は新日本建設の柱として残された。
先生の夢は後代の青年の魂をゆさぶり続け、大正の末年本県青年たちの提唱によって、銅像建設のことも立案推進された。
この桂浜の厳頭に立てられた先生銅像の除幕式は昭和3年(1928年)5月27日を期して挙行された。
建設資金は当時の青年たちの零細な拠出によって造成されたが、この計画は先生の往時の同志、田中光顕伯の賛助を受け当時25歳の青年秩父宮から寄付金が下賜されたのである。
このことが一層県下青年を感奮させたと伝えられる。
総工費25,000円、像身5.3m、台座8m、製作者は郷土出身の本山白雲である。
除幕式の当日は軍艦「浜風」が銅像の下に投錨参列して祝意を表した。
青年の力によって建設されたこの銅像は青年のシンボルとして雨の日も風の日も力強く若者たちの魂に話かけるであろう。

建設以来55年を経、損傷の著しい銅像台座の修復工事を行うべく立ち上がった現在の高知県青年は昭和58年(1983年)3月20日、桂浜で盛大に竣工を祝った。
修復資金は一口100円の寄付を街頭募金を通じて県内外の龍馬ファンから募り、目標額を上まわる573万4,195円の寄付金を集めた。
明治の青年たちが建設した、その意志を受けついで昭和の青年たちの手で修復しよみがえった坂本龍馬先生の銅像。

「いつまでも伝えたい、龍馬の心を生き方を」の合言葉とともに次代の青年たちにこの意志が受けつがれんことを期待する。

さらに、建立以来桂浜で風雨に耐えること70年。
古希を迎えたのを機に、「日本も龍馬も倒しとうない」と、有志たちが龍馬像修復実行委員会を結成。
建立時と同様、龍馬を愛する人々から大きな浄財を得た(総額5,941万4,590円)。
そして平成11年(1999年)3月28日、修復・強化された龍馬像は再び太平洋を望んだ。
「ありがとう。つぎは日本の洗濯ぜよ」と、その姿は語っているかのようである。