木代荘を開発したとの伝書が残されている

12世紀初期の鳥羽天皇の頃、藤原長乗、通称 貝川三位長乗が一族郎党36名を引き連れこの地に来往し、大円を拠点として木代荘(木代、切畑、大円)を開発したとの伝書が残されている。
ただし公卿としての貝川三位や貝川長乗の記録は残っていない。
一方、領主や地主が開発した田畑を石清水八幡神社に寄進した事実は残されている。
小高い丘に室町時代造立と推測される、高さ40㎝ほどの一石笠塔婆が貝川三位の墓と言われ佇んでいる。
希望ヶ丘と走落神社の間にも木代三位塚の地蔵摩崖仏が在り、貝川三位を物語っています。