大村藩お船蔵跡
大村藩お船蔵跡

江戸時代(1603–1867)からその原型を留めたままで保存されているドックは数少ない。
大村藩お船蔵は、1571年、大村家がポルトガル商人に長崎港を開港したときに最初に建設された。
この港のおかげで、硝石やシルクなど中国からの貴重な輸入品を一族が入手できるようになった。
大村御船蔵跡が覆われている場所にあったことが、おそらく、その保存に貢献した要因であろう。
これは、長崎県の史跡に指定されている。
御船蔵の裏の高くなっているところに、米蔵と、火薬を作るための硝石を調合する施設が建っていた。

16世紀に大村家が支配していた領土は、大村湾により隔てられており、17世紀初めに徳川幕府(1603–1867)によりその支配権が握られるときまで、長崎港もその中に含まれていた。
御船蔵は、輸送、海運業、防衛にとっては極めて重要なものだった。



御船蔵は、17世紀の終わりに、大村家第4代藩主である大村純長(1636–1706)の委託により、玖島城の南西側に建設されたものであり、近隣の半島により守られていた。
御船蔵の3つの船渠は、それぞれ、幅約8メートルで、浅い湾から水路が掘られている。
船渠は、石の埠頭で隔てられており、一番長いもので、岸から31メートルにも及ぶ。
真ん中の船渠の一方の横側にある埠頭の先端沿いに杭用の穴があることから、自然の要素から保護する屋根に覆われていたことがわかる。
このように覆われた船渠は、おそらく、藩主の個人輸送として役目を務めていた小型平底荷船を保管するために使用していたのであろう。