浜田弥兵衛の碑
浜田弥兵衛の碑

浜田弥兵衛(生没年不詳)は、外国の通商力に抵抗し、日本・オランダ間のより公平な貿易条件を構築したことで有名である。
オランダ政府の後ろ盾のあるオランダ東インド会社(VOC)は、17世紀、東アジアにおいて、ヨーロッパ最大の貿易業者であり、スパイスやシルクをヨーロッパに持ち帰っていた。
彼らは、通商基地として、地域全体において港を確保し、軍事力によりその権益を守った。



台湾にいるオランダ人
浜田は、1620年代に長崎を拠点としていた武装商船である「朱印船」の船長であった。
これら商船は、台南(現在の台湾)を経由して明国と貿易を行い、徳川幕府(1603–1867)の後援を受けていた。
1624年、中国に開港を強制することができなかったVOCは、通商基地として、台湾にコロニーを作った。
しかしながら、オランダ人は有利な価格を要求し、日本人に売りさばくので、中国シルク商人はオランダ人に売るのを渋っていたそうだ。
1625年、オランダ美麗島(台湾)にあるコロニーのオランダ人総督は、日本人がそこで通商を行うことを阻むよう命を受け、その港を経由するすべての商品に高い関税を課した。

浜田によるオランダ覇権への抗議
中国商人からシルクなどを買い付けるために、1625年に長崎から台湾に航行したとき、浜田は、新たな関税の支払いを拒絶した。
オランダ当局は、浜田の積み荷を押収し、日本の商船は、一時的に、台湾での通商を禁止された。
VOCは、すでに、幕府の許可を得て、長崎の北端にある平戸で交易所を持っており、シルク用の金、銀、銅や、砂糖、ヨーロッパの商品の取引を行う日本人と良好な関係を維持することを望んでいた。
台湾におけるオランダコロニーの総督は、オランダによる台湾支配を確立するために、幕府との拝謁を求めたが、日本が台湾の人たちから統制する権利を与えられたという主張を試みた浜田により、どうやら阻止されたらしい。
結局、両者とも拝謁を許されなかった。

人質事件
1628年、浜田は、再び、台湾での通商を試みた。
VOCは、浜田の積み荷に関税を課し、浜田の貿易船に停泊料を課し、浜田がこれらの支払いを拒絶すると、浜田の船と武器を押収した。
浜田は、総督を人質に取ることによって応え、船と財産の返還を求めた。
台湾におけるオランダ当局は、日本と貿易を行うVOCの権利を失うことを恐れ、浜田の要求に同意し、その後、和解策として、懲罰として総督を日本に送った。
そして、オランダ人総督は、数年軟禁されることとなった。
VOCは、贈り物や軍事支援の提供など、幕府に対し何度も申し入れをした。
1639年に幕府が外国の権益に対し日本を閉鎖したとき、オランダ人のみが、厳しい管理下には置かれるけれども、留まることを許された。
浜田弥兵衛は、オランダ人に屈することなく、外国における日本の権益を強く守ったことで、記憶に残っている。