飛騨の名工が手掛けた天下一品の彫刻美
古四王神社本殿は、室町時代末期の元亀元年(1570年)に建立された神社で、孔雀城主である冨樫左衛門太郎勝家が飛騨の名工「甚兵衛」に依頼して建てられたと伝えられており、国の重要文化財に指定されています。
本殿の構造は一間社入母屋造で、和様・禅宗様(唐様)・大仏様(天竺様)を自由に融合した折衷様式が特徴です。特に、向拝正面の水引虹梁の菊唐草や、側面手挟の藤唐草の絵様繰形は稀に見る傑作とされています。また、桟唐戸を含め四方に施された“結界”を意味する襷桟、大型の蟇股や擬宝珠などの意匠は他に類例がなく、建物全体に細部まで優美な彫刻が施されています。
この神社の建築手法は、繊細さと豪快さを兼ね備えており、細部に至るまで美しい彫刻が施される一方で、荒削りな太い材木の堅牢な土台が特徴です。
古四王神社は、大彦命を祭神として祀っており、崇神天皇が四道将軍を日本全域に派遣し、高志国(北陸)へ赴いた大彦命がこの地の大石に休憩し、村人がそれを畏敬して祠を奉ったと伝えられています。この神社は、地域の生活に密着した産土(うぶすな)様として、古くから様々な願いや祈りの対象となってきました。特に、勝負事にご利益があるとされ、スポーツや各種競技、起業や昇進など、人生の様々な勝負の場面で参拝されています。