江川邸の概要

江川邸とは、世界遺産「韮山反射炉」の生みの親として有名な江川英龍の邸宅であり、韮山代官所でもあった施設です。
江川邸の主である江川家は、中世から現在まで約900年も続く歴史のある家柄で、徳川幕府より直轄地である伊豆・駿河・相模の統治を任され、江戸時代のほぼ全期間を通じて徳川幕府の代官を世襲して務めました。
当主は代々「太郎左衛門」を襲名していたため、一族の中で最も有名な英龍のことも、一般的には「江川太郎左衛門」と表記されることが多いです。

江川邸とは、世界遺産「韮山反射炉」の生みの親として有名な江川英龍の邸宅であり、韮山代官所でもあった施設です。
江川邸の主である江川家は、中世から現在まで約900年も続く歴史のある家柄で、徳川幕府より直轄地である伊豆・駿河・相模の統治を任され、江戸時代のほぼ全期間を通じて徳川幕府の代官を世襲して務めました。
当主は代々「太郎左衛門」を襲名していたため、一族の中で最も有名な英龍のことも、一般的には「江川太郎左衛門」と表記されることが多いです。

江川邸とその一帯は、戦国時代から明治の中頃まで地方政治の中心となった場所であり、このように長期間にわたって地域支配と行政の中心となった場所は全国的にもまれなことから、2004年に国の史跡「韮山役所跡」に指定されました。
江川英龍の功績は反射炉の建設だけにとどまらず、西洋砲術を普及させ、品川台場(砲台)の築造を指揮するなど、幕府の国防政策においても大きな役割を果たしました。
また、英龍は日本で初めて本格的にパン(兵糧用の乾パン)の製造を始めた人物としても有名で、パンを全国に広めたことから「パン祖」とも呼ばれています。

敷地面積11,000㎡にも及ぶ広大な邸内には、梅林や竹林、池を備えた中庭もあり、江戸時代の代官屋敷としての格式の高さを象徴する造りとなっています。
屋敷内には数多くの部屋がありますが、そのいくつかの部屋は一般公開されています。
公開されているのは「玄関」とそれに続く「使者の間」「控えの間」「塾の間」です。
江川邸はこれまで一度も火災にあっていないことから、数多くの文書類や書画、武具などが残存しており、その一部は室内に展示されています。
江川邸を訪れ、江川英龍のことをより深く知ることにより、より一層、世界遺産「韮山反射炉」への理解も深まることになるでしょう。

名無しさん

名無しさん
雰囲気がとても良い