大衆の厚い信仰心によって建立

寺伝によると、古くこの地に一草堂があり、念佛する者が後を絶たず、その故をもって不断堂と名付けられていた。
天文十五(1546)年に萬里小路内大臣秀房公の息、浄土宗総本山知恩院第二十七世徳譽大僧正の嫡弟、祐圓和尚が諸国遍歴の途中、止々呂美(箕面市)の豊楽寺に留まり、後に招かれてこの地に来たり、信徒と協力して再建し、不断山西光寺と名付けたとある。
江戸期にはこの地域の中本山格の寺院として、知恩院の雄誉霊巌上人より、河辺等三郡の触頭に任命され、六箇寺の末寺があった。
本堂小屋裏には「承応元(1652)年」「元禄10(1697)年」「文政5(1822)年」の三つの棟札が残されており、四百年近く前の建築様式が残されていることが推測される。
直近の大改修より二百年の時が経ち、令和年間に大改修することとなった。
一般に寺院の建立はその土地の有力者による勧請によるものが多い中、当寺は一般の皆様の厚い信仰の心によって力を合わせて建立されたのが発祥の寺院である。
歴代住職が檀信徒・地域住民と力を合わせ、今日まで護持され続けている。

【代表的な仏像等】
御本尊…阿弥陀如来立像(鎌倉時代:伝安阿弥(快慶)作、明治二四年九鬼隆一氏らの鑑定団による)
止々呂美聖観世音菩薩立像(平安時代:伝小野篁作、明治二四年九鬼隆一氏らの鑑定団による)
阿弥陀三尊来迎図(室町時代、明治二四年九鬼隆一氏らの鑑定団による)