この地を統治した大村家の墓所

大村家は、10世紀から19世紀にかけて大村湾周辺の領地を統治し、16世紀におけるヨーロッパと日本の間の貿易の発展に尽力した。
大村家第18代領主である大村純忠(1533–1587)は、キリスト教信仰に転じた最初の大名であった。
純忠は、ポルトガル商人やイエズス会の宣教師に長崎港を開港した。
純忠のキリスト教への改宗に対する意欲が、ある程度、ヨーロッパの銃器、火薬を作るための硝石、中国シルクを提供することができたポルトガル人との貿易の機会になったと考えられる。
1563年に洗礼を受けた後、純忠は、当藩の領土にある仏教寺と神社の取り壊しを命じ、当藩の人々にキリスト教への改宗を強制した。
純忠の子息である喜前(1596–1616)は、洗礼を受けたが、のちにキリスト教信仰を捨てた。
1587年に純忠が死去して間もなく、国の事実上の統治者である豊臣秀吉(1538–1598)は、宗教が日本の政治・社会制度に与えうる脅威に対抗するため、キリスト教の伝道を制限する命令を発した。
大村喜前は、当藩の領土からキリスト教の宣教師をすべて追放し、1602年に、公にキリスト教信仰を捨て、日蓮仏教に改宗した。
喜前は、父が当藩の領土に建てた教会の取り壊しを命じ、その跡地に寺院と神社を建立した。
