海に浮かぶ難攻不落の城

臼杵城跡は、かつて臼杵湾に浮かぶ丹生島(にうじま)に築かれた海城(うみじろ)です。別名、丹生島城(にうじまじょう)や亀城(かめじょう)とも呼ばれ、その歴史は戦国時代にまで遡ります。

築城したのは、キリシタン大名として知られる大友宗麟(おおともそうりん)です。永禄5年(1562年)に丹生島に築かれた城は、周囲を海に囲まれた天然の要害であり、難攻不落の城としてその名を馳せました。当時、イエズス会宣教師がローマに「臼杵の城」として報告したことからも、その存在が広く知られていたことが伺えます。

その後、江戸時代には稲葉氏が臼杵藩の藩主となり、城は藩政の中心として機能しました。最盛期には三重の天守と31基もの櫓が立ち並び、壮観な景観を誇っていたと言われています。特に、総二階造りと呼ばれる独特の形状をした二重櫓は、臼杵城の特徴の一つでした。

明治時代の廃藩置県により、天守をはじめとする多くの建物は取り壊されましたが、現在でも石垣や空堀などが残り、往時の面影を偲ぶことができます。城跡は臼杵公園として整備され、市民の憩いの場となっています。春には約1,000本の桜が咲き誇り、県内有数の花見スポットとしても有名です。