日本の和の色を巡る旅~自然の命をいただく色の世界―「ことほぎ」

日本の和の色の源、故郷―言祝ぎ(寿ぎ)のこころ

   色に名前をつけることは愛情である。

志村ふくみ『白のままでは生きられない
ー志村ふくみの言葉』
求龍堂、2010年、P.101

(以下本文内(※):必要に応じ採番の上、
文中または末尾に出典と共に詳細表示)

日本の和の色の源、故郷を辿る

光り輝く海(右側光り輝く水面・全体は淡い青・波の具合で時折薄青・濃淡あり)

海を前にした時、輝く水面、広がる海の存在に、あなたはどんな色の言葉を思い浮かべますか?

青、蒼、藍、碧、瑠璃色-

私たちが普段、日本の言葉をあてて呼び、見て、感じている色には、実は背後に沢山の、 “源” が秘められています。

“色” そのものには、いくつかの概念と仕組みが絡み、
それぞれの “色名(しきめい)” には、
元々名もなき存在であった “色” そのものが、
名づけられ生まれてきた歴史があるということです。

色名とは、色の名前のこと。

太古の昔から現在まで、各時代のまなざしによって
愛でられ育てられ、現代に生きる私たちの生活にも
“彩り” というリアリティを与えてくれる“色” 。

仮に今、この日本列島の空気や光を通して目に映り、日本語で名づけられた “色” を “日本の、色・和の色” と呼んだ場合、

それらの色には、かつてどんな故郷があったでしょう。

命いただいて生かされている私たちと同じように、
名づけられた色たちにも
お母さん、お父さん、ご先祖様たちがきっといて、
連綿とつづく命のつながりの中に、毎時毎瞬間の光、空気、量子を含む波動を通して、
今、目の前の色が現れいづるのだとしたら―

朝日を浴びる苔(森奥深く木肌に生える苔の中に、生まれて数日のような、触手のような苔の赤ちゃん達。数十本のその姿に光射す、根元の絨毯みたいな苔は反射で光輝く。周辺に木洩れ日は淡く浮かび、手前と奥に深い木陰の色、特に濃い緑が画面を囲む。対照的に淡い柔らかい桐のような緑、濃淡あり)


花の蜜を吸うベニシジミ(画面中央、小さな蝶がヒメジョオンのような野菊のような小さな花に止まり蜜を吸っている。背景は草原が淡く残像のように映る)

色の存在に限らず、見えていて、名づけていても、
私たちの足元にはいまだ見えざる遥かな地層が広がっています。

歴史上数度の断絶を経験し、近代化と
グローバリゼーションの洗礼を受けた後の世、
大陸から見れば辺境のこの島々の上で、

どれだけ見失ったものがあったとしても、
悠久の時の中で古人が残してきた叡智のかけらを拾い、それらに耳を傾けていくことは、

自然存在をかなめに、命を守り育てていくことにつながるのではないでしょうか。

NASA宇宙から夜の日本列島を映した写真。島を取り囲む近海が淡くエメラルドグリーンのような色彩でほのかに光る。太平洋、日本海は濃い群青。日本の沿岸は白き砂洲のように目に映えるが本当は夜間の電光・

「日本」と呼ぶ領域は、数万以上もの島々で成り立つ、地と海の有機体です。はるか上空から眺める姿は、白き砂洲もまるで結晶のように美しい。

「日本は島国だから」と幾度と口にしながら、本当は同じ海で囲まれた陸地(=島)で生き、他の生物や山や草木、海に恩恵を受けて生きてきた姿は、島にあっても大陸―それは、大きな島―においても人類みな同じなのだと、最近筆者は気づく機会をいただきました。

東の果ての小さな島の集まり、ガラパゴスと言われる「日本」。でも、この「日本」を俯瞰しかつ深く見ていくことで、人類を含めた世界中の自然存在が、瑠璃色の星の上の「一つの大きな島の島人」であることを感じ、反芻していけるかもしれません。

📖🔍「一つの大きな島の島人」:日本を代表する民俗学者・柳田國男氏(1875~1962年)が、1933年(昭和8年)発刊の『嶋』創刊号・巻頭言で触れられた、当時の日本人に向けた「(自分たちも亦(また))一個の大なる島の島人」という言葉の現代語訳です。(末尾参考文献・註※1 に原文一部記載)

☞ 時代は変わり今では、かつての「本州・近代国家日本ありき」の観点を取り払って、「島」という単位に光をあて、より多角的に世界を見ることができます。

 

たとえば日本を「小さな島」と見るならば、他のユーラシア・アメリカ大陸なども同じ「海で囲まれた陸地=島」つまり「大きな島」であると捉えたり、また日本を「(主だった島だけではない)『多様な島々の集合体』」と捉えることが可能になってきています。

人類がみな、地球上の平等な「『島』という陸地」に生きている、という目線をもつことができます。
(※1 長嶋俊介/編『日本ネシア論 (別冊環 ; 25)』、藤原書店、2019年6月)

数年前筆者は日本画の制作現場に出会い、日本古来の色を彩る「岩絵の具」・「水簸(すいひ)絵具」などの顔料が、天然の岩石を様々な細かさの粉に砕いてできた「土・大地」そのものであることを知りました。

そしてそれらが果ては約46憶年前の地球、宇宙(コスモス)からの贈り物であること、さらに「色」という存在が本来、天地への祈りと共にあり続けていたことに気づき、息を呑みました。

またそうした天然の顔料を使い、和紙と絶妙に合わされ受け継がれてきた日本の千年もの技法が、人類における芸術の起源と言われる洞窟壁画(※3 齋藤亜矢/著『ヒトはなぜ絵を描くのか 芸術認知科学への招待』 岩波書店、2014年2月、pp.5-13)と実は変わらぬ原点をもち、「太古からの人類の進化のプロセスと人類の文明、日本の風土を今に伝えているもの」(※4 千住博/著『日本画を描く悦び』2013年、p.21)なのだと発見した時、言い得ぬ衝撃を受けました。

📖🔍「日本画」とは、「西洋画」に対して生まれた明治以降の新しい言葉です。ここではやんわりと「伝統的な日本の絵画を総称する意味」とします。それは「主に板、麻、絹、髪などの基底材に筆を使用し、顔料を膠で接着させて描く絵画」です。(※2 平山郁夫・渡邊明義・高田倭男・田渕俊夫・宮廽正明/監修・東京藝術大学大学院文化財保存日本画研究室/編『図解日本画用語事典』東京美術、2007年5月、p.8)


📖🔍水簸(すいひ)絵具:岩絵具の粒子(天然の土や貝殻)を水の中で沈殿させより細かいものとして精製する顔料。(同※2 p.40,47)

コラージュ画像(上部は白い額と水色の小花の額紫陽花・背景黄緑・株は左から順に、青磁色の岩絵の具・手のひらの上の胡粉団子・鶯緑青の岩絵の具)

筆者撮影(Jinzo Chikahiro加工):
額紫陽花、鴻業堂の岩絵の具(青磁色、鶯緑青)、胡粉団子

以来日々「色」の存在のルーツを見つめていく中で、

「土・大地」由来の日本画などの顔料のほかにも、日本の色として切っても切り離せない草木・植物由来の色―染織から生まれた色―があることを折に触れて自覚し、思い返すこととなりました。

やがて主に染織家志村ふくみ氏の著作を通し、(後ほどご紹介いたします)

そもそも「色」とは、日常にありふれた存在でありながら、かつ、目に見えぬ存在にもつながっているものなのだろうと、感じられるようになりました。

それは “「色」のむこう”  を見ることで可能となります。

画面にただ一つ、大きく皇居の額紫陽花(白い額、水色の小花。初夏の日差しに清々しく色彩映える)

筆者撮影:
6月の額紫陽花@皇居

今胸に宿るのは、こんな予感です。

―「色」という存在を鍵にすることで、日々過ごす身の回りにも「自然存在とのつながりを見せてくれる原初」を辿ることができるかもしれない。

物心がつき始めた頃からすでに天然の “自然” も “自然” と調和した里山も、生活圏の視界にはほぼなく、地球という惑星自体の環境も汚され壊され続けて久しい時代。

それでも、ここに生きながら、今日この時において日本・和の「色」のルーツ・故郷・源を辿ることは、明日からの世界の見方を変えていける端緒(たんちょ)になるかもわかりません。

端緒とは、物事の始まり、糸口のこと。

田んぼからの虹(富良野を彷彿とさせる田園風景が眼前に広がる。画面下方には松葉色の田畑。画面中央には水平線上にカラマツの並木が見える。画面やや左中央からは右方上空へ大きな虹が昇り、印象的。はるか遠くに山々。薄曇りが淡いグレーと青に彩られている)

こんな私ごとの想いが背景のトピックスで恐縮ですが、どうしても湧いてくる妄想と仮定、予感を熱源にこれから、日本に古来伝わる「色」(日本の色・和の色)について、その時々に目に留まる色などをテーマに辿り見えてくるものを、ご紹介していきたいと思います。

いつも古くて、古すぎて見えていないこの日本の島々の足元に隠れる新しいなにかを、お伝えでき、いつかサステナブルな次世代への魔法の鍵などになるように、育てていけましたら幸いです。

サステ(イ)ナブル【sustainable】:持続可能であるさま

水溜りと映り込む空(画面全体が水底のような深い蒼の世界。水たまり映るのは、黒い影のよう樹々、白い雲の浮かぶ青空。またガラスのかけらのような地面、小石が浮かぶ))

色そのものから、名づけられる存在へ―言祝ぐ(寿ぐ)こころ

「言祝ぐ/寿ぐ」とは古語において、「言」が「事」になると信じながら幸を招こうと祈り言葉を口にする、という意味を持っていた、古(いにしえ)からの由来ある日本語です。

最近は、 “引き寄せの法則” などをこの言葉に感じられる方も、いらっしゃるかもわかりません。

背景には、古代の言霊思想があるとされています。

今回は、色の存在が名づけられていくさまにも「言祝ぐ/寿ぐ」という行為があったとしたら、と仮定し、日本の和の色の一つの姿をご紹介して参ります。

水面に咲く睡蓮(暗闇の中水面に睡蓮が一輪浮かぶ。白い花弁が水面に映る。水音が聞えそう)

色が名づけられる原初(はじめ)を想う

  色に名前をつけることは愛情である。

志村ふくみ『白のままでは生きられない
ー志村ふくみの言葉』
求龍堂、2010年、P.101

冒頭にご紹介したこちらは、染織家・志村ふくみ氏の詞華集より引用させていただいた言葉です。

染織家志村ふくみ氏と「あわい」

志村ふくみ氏は、1924年(大正13年)滋賀県近江八幡生まれの日本を代表する染織家です。

植物染料による心象風景を織り込んだ紬織の作家、随筆の名手としても知られ、工芸の粋を超える表現を生み出される中で、1986年紫綬褒章受章、1990年「紬織」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に、1993年文化功労者に認定、2015年には文化勲章を受章されています。(※6 佐治 ゆかり(郡山市立美術館) 他/監修『志村ふくみ いのちを織る』、東京美術、2019年4月)

30代で子供を抱えながら独り染織の道に身を投じ、「植物の命をいただき色を染め出す」という営みを真摯に歩み続けた志村氏。

直近では、水俣病と向き合い続けた作家・石牟礼道子氏(1927年3月11日(昭和2年)-2018年2月10日)との共作、新作能『沖宮(おきのみや)』を上演(2018年秋・熊本・京都・東京)するなど、90歳を超える今も尚現役で活躍されています。

「近代と前近代のあわい」を見続け、染め、織り、書き、感じられるすべてを深みの粋で表現する稀有な日本人女性―今後数百年の日本の文化芸術史の中で存在感を放たれ続ける方だろうと、筆者は敬い感じております。

📖🔍あわいとは、「間」のこと。ものとものとの間、時と時との間、人と人との間、相互の関係などを表します。

📖🔍「近代と前近代のあわい」…近代と前近代のはざま、間、相互の関係の意味。(※7  新作能「沖宮」HP ・志村ふくみ・石牟礼道子/著『遺言 対談と往復書簡』筑摩書房、2014年10月(単行本)・2018年9月(ちくま文庫))

 

あわい(葉っぱと葉っぱの「あいだ」)
前近代と近代のあわい(太い横軸線を紫~青の色鉛筆の色彩で表現。左方が前近代、右方が近代、右端は現代。紫から青へのグラデーション、中央に淡く白い煙のようなぼやけた境界。色鉛筆で前近代:紫、近代‥現代:青、あわい(間):紫&青重書き説明あり)

「色に名前をつけることは愛情である」

この言葉に、あなたはどんなことを感じますか?
どんな姿が思い浮かびますか?

悠久の昔を想う時、筆者はこのひとフレーズに、人類が色の名前を生んだ最初の心象風景―世界に “色” を見出し、またのちに自らの手で “色” を生みだし得た人類の、 “色” を超えた天地への敬い、命いただく草木や土への無限の感謝、生きることに日々祈りを込めた覚悟が、端的に込められているような感慨を覚えます。

言葉をまだ知らなかった時代、そもそものはじめは、自然存在そのものの中にあった色を、名づけることなくただただ感じ続けていたことでしょう。

それからきっと、たとえば岩肌とは違う濃い色の土、指については落ちにくい草木の汁などを通して、自分たちの手で何か新しいものを付着できるのだと知り、驚きとともにその色を眺め見つづけたひと時もあったかもわかりません。

やがて、天地の存在を通して自らの、人の側に、おこぼれのようにいただける目の前の特別な色彩に、思わず言葉にならない想いがこみ上げてくる瞬間があったのではないでしょうか。

歓喜とも畏怖ともしれぬ温かな想いが、 “色” への言葉となって迸った(ほとばしった)のでしょうか。

鉱物ローズクォーツのテクスチャー(紅水晶の結晶の断面のような模様。白い光、筋、濃い紅色から淡いピンクへのグラデーション、影は青白くクラゲのような色彩)

推察ですが、こんな風に想像が浮かびます。

なぜなら、筆者自身が日本画の顔料を手のひらの上で溶いた時、岩絵の具や水簸絵具のその粉が、まず何色か、最初わからなかったからです。

何色かわからないその岩石の粉が、太古の昔からやってきたいわば土、山なのだと感じた時、人間の力の及ばない自然存在からやってきたその色に、ああなんと名づけよう、昔の人はなんと呼んだのだろうと、胸が震えたからです。

様々な条件で姿を変えて見せる日本画の顔料の色は、先人がつけた名があってもそれは今でも尚ヒントでしかありません。

それでも、顔料そのもの色、水と膠で溶かれた手のひらの上の色、和紙に染み込んでいく色、すべてそれぞれにー「かつての名が知りたい」、名づけて心に残しておきたいと願うほど、今目の前にあるその一瞬の色に、言い得ぬ想いが湧いたのです。

「言祝ぐ/寿ぐ(ことほぐ・ことほく)」という古語

はじめ自然存在の中にあった色―色そのものが、名づけられる存在へと生まれ変わる瞬間(とき)。

そこには、「色の名前が誕生する」という過程・姿があります。

ここでひとつ、「誕生」―なにかが生まれ、始まることへのまなざしに掛けて、「寿(ことぶき)」というお祝いの言葉をご紹介しましょう。

みなさんは、この日本語の成り立ち、由来を、ご存知でしょうか?

「寿(ことぶき)」という言葉の成り立ち、由来

「寿」は、現在の日本では、人の結婚や長寿に際し喜びや祝いの気持ちを述べる言葉として使われ、祝いの儀式を指し、直接には命長いこと(長寿)も意味する言葉です。

この語は元々、「言祝/寿ぐ」という動詞から生じたものでした。

動詞「言祝ぐ/寿ぐ」が名詞化し、「言祝ぎ/寿ぎ(ことほぎ・ことほき)」となり、それが転訛(てんか)して「寿(ことぶき)」ができたのです。

転訛(てんか)とは語の音がなまって変わること。

そしてこの日本語に残る動詞「言祝ぐ/寿ぐ」はかつて、言(こと)を祝(ほ)く、と表される古語でした。

言(こと)は事(こと)と同じ根源という発想―言霊思想

「言(こと)を祝(ほ)く」について、
もう少し具に(つぶさに)見てみます。

具に(つぶさに)とは、
詳細に、ことごとく、といった意味。

「言(こと)」とは、古語において実は「事(こと)」の意で、古代、奈良から平安の世まで、言(こと)は事(こと)と同じ根源にあるものとされていたそうです。

ピンクの色鉛筆で描かれたうさぎが、「言(こと)を祝(ほ)く?ホク?」と自問している絵図。黒鉛筆手書きセリフ。

言(こと)とは、

・話したり語ったりすること。また、表現された内容。ことば。
(※8  前田富祺 /監修『日本語源大辞典』小学館、2005年 こと 【言・辞・詞】より)

・語源は、「コト(事)」と同源です。抽象的に意識される事柄を口に出して言うことが言葉です。言葉のことの簡約がコト(言)です。中国語源【言】…「心が口から発したもの」。辛(心)+口、上下に組み合わせた文字。
(※9  増井金典/著『日本語源広辞典』ミネルヴァ書房、2012年 こと 【言】より)

ピンクの色鉛で描かれたうさぎが、「言(こと)はことば。口から発せられる事柄。・・・」と自問している絵図。黒鉛筆手書きセリフ。「事柄」にピンクのペンで加筆「抽象的に意識させられるもの」

さらに事(こと)とは、

・形をもった「もの」に対し、そのものの働きや性質、あるいはそれらの間の関係、また、形のつかみにくい現象などを表す語。また、ひとのするわざ、行為。
(※8  前田富祺 /監修『日本語源大辞典』小学館、2005年 こと 【事】より)

・抽象的に考えられ、意識される現象、事件が、コトです。
(※9  増井金典/著『日本語源広辞典』ミネルヴァ書房、2012年 こと 【事】より)

ピンクの色鉛筆縁取りうさぎが、「事(こと)は現象、事件。」と自問している絵図。黒鉛筆手書きセリフ。ピンクのペンで加筆「形をもった『もの』ではない。抽象的に考えられ、意識されるもの…」

これら「言」と「事」の関連性については、以下の解釈が一般的とされています。

「言(こと)」はもともと「事(こと)」と同じ語だったというのが、近世の国学者や国粋主義者たちの見解である。同じ語だったということは、古い「こと」という語には、後世には区別された「言」と「事」の両義があったということである。古代の文献に見える「こと」の用例には、「言」と「事」のどちらにも解釈できるものが少なくなく、それらは両義が未分化の状態にあるものだと見ることができる。現代の研究者の多くは、「言」と「事」とは同源の語だとする見解を妥当なものと認めている。
(※10  佐々木隆/著『言霊とは何か  古代日本の信仰を読み解く』中央公論新社、2013年、p.4)

(下線太字:筆者強調)

口から音となって零れる(こぼれる)言葉は、抽象的に意識される事柄・起きる現象と、(時間軸関係なく)即ちイコールだったのでしょうか。

「抽象的に意識される」とは、目に見え手で触れられる具体的な “もの” ではない(=目に見えない)ということでしょう。

ピンクの色鉛筆で描かれたうさぎが、「あー」と声(音)出している絵図。黒鉛筆手書きセリフ。ピンクのペンで加筆「ココにも霊力?」「えー!」

確かに、言葉も、目には見えないものですね。

ピンクの色鉛筆で描かれたうさぎが、「目に見えない、『もの』自体ではない。たしかに…。」と言っている絵図。黒鉛筆手書きセリフ。
言事ベン図(左側に言(こと)の緑の玉、右側に事(こと)の青の玉。重なり合うベン図になっている。球を色鉛筆のグラデーションで表している。説明書きあり。言:口から出して言う”こと”=言葉、事(こと):抽象的に考えられ、意識される事柄。起きる現象・事件)

「言祝ぐ/寿ぐ」―言が事になると信じ、幸を招かんと祈り言葉を口にすること

けれど「言」と「事」がなぜ、同じとなるのでしょう?

実はこの世界観の背後には、 “口から放たれた言(こと)と、生じる事(こと)が同じだ” と認識する「言霊思想」が通底に流れています。

「言霊」とは、辞書上ではこんな定義となっています。

古代言葉の霊力。言葉が持っている不思議な力。
[参考]古代社会では、言葉と現実との区別が薄く、「言」は「事」であり、言葉はそのまま事実と信じられていた。たとえば、人の名はその人自身のことであり、女性が男性に自分の名を教えることは、相手に我が身をゆだねることを意味した。
(※11  学研全訳古語辞典「ことだま 【言霊】」より)

(略)『時代別国語大辞典上代編』(三省堂)では、「言霊」を「ことばに宿る霊。」と説明し、さらに次のように解説している。

ことばに出して言ったことは、それ自身独立の存在となり、現実を左右すると考えられた。名(ナ)に対する禁忌の心持とも共通する信仰・感覚である。

「それ自身独立の存在となり」とある点に注意したい。右の解説のあとには、

神託や呪詞にこの霊力がひそむと考えられたのであろう。諺や歌もまた言霊のひそむところであり、それゆえに唱えられ、歌われたものと考えられる。

という推測も加えられている。

(略)
どの古語辞典に見える解説も、『広辞苑』のそれと基本的には同じだと言えそうである。

(※10  佐々木隆/著『言霊とは何か 古代日本の信仰を読み解く』中央公論新社、2013年、pp.8-9)

(斜体・下線:筆者強調)

簡単に言うと「言霊」とは、「言葉に備わっている、現実を動かす力」ということのようですね。

つまりこの「言霊」なる力を信じ、言(=事)を祝うということー言祝ぐ/寿ぐとは古来、

“口から放たれた言(こと)が、生じる事(こと)を動かす。影響を与える” と信じながら、祝う言葉を発する意だった、ということが読み取れます。

古語・言祝ぐ/寿ぐ“口から放たれた言(こと)が生じる事(こと)を動かす” と信じ、祝う言葉を発すること

これらを見渡していると、古(いにしえ)の人が世界の中の “ある存在” の名を呼ぶ時、(それが色の名であってもなんであっても)口から発せられる音としてのその言葉にさえ、畏敬の念をもつと共に霊力をも感じているという、ある種の感性が浮かび上がってきます。

そして “ある存在” の名を呼ぶ時の、 “ある存在” とは、
“形をもった「もの」” ーだけではなく、
“形につかみにくい現象・抽象的に考えられ、意識される現象(=こと)” も、含まれています。

それは「もの」ではなく、「もの」に対する存在。
具体的に目に見えたり手で触れられたりすることのない、もしかしたら目に見えないものまで含まれるかもしれない領域。

少し例をあげて、具体的に感覚を辿ってみましょう。

言・事(こと)における抽象性―目に見えないなにかに力を感じる

古(いにしえ)の人が世界の中の “ある存在” の名を呼ぶ時、を想像してみます。
例えば「白い雲」を例に考えると‥

① “形をもった「もの」” 自体 :空に浮かぶ「雲」

清々しい青空
澄んだ青空と雲
ピンクの色鉛筆で描かれたうさぎがもくもくした吹き出しのなかで、「あの、モクモクしているものを、雲(くも)と呼ぼう」と飛びながら言っている。セリフ黒鉛筆手書き。

②「こと」= “形につかみにくい現象・抽象的に考えられ、意識される現象”  (「もの」に対(応)する)
:(すごく簡単にあげると)「白いな」「光っているなぁ」「光」という言葉・イメージ

上空からの雲(飛行機の中から眺めたような雲海の景色。淡い水色、影には少し濃いめのグレー。光る部分が白く浮かぶ)
アルプスの山々と雲(はるか後方、画面下部にアルプスの山並み、画面いっぱい空いっぱいに雲。少し雨降りそうな、荒れ始めているような山の天気を彷彿とさせる。手前の上空は晴れているのか雲が白く光る)
真夏日の日差しと青空(画面右中央に白く強く印象的に光る真夏の太陽。青空には対照的に白い雲、左上方に向けてうろこ状にたなびく)
うさぎたち②白いな光

② “形につかみにくい現象・抽象的に考えられ、意識される現象”  とは、現代語でいえば究極的には「イメージ」や「抽象概念」とも置き換えられそうな領域になりましょうか。

雲の例でいえば、「白い」というイメージ、「光っている、光」という印象(言葉自体も)を指します。

古(いにしえ)の人にとって、現代に使われる抽象語・概念などは、なかったはずです。でも少なくとも、「具体的な目の前の『もの』」か、「もの」から離れた「 “イメージ” のこと」か、の意識の違いは、生きていればあったでしょう。

「具体的な目の前の『もの』から離れた、 “イメージ” 」ーそんなところまでが、音となって口から零れた(こぼれた)時、一つの独立した存在となり、現実を動かす霊力をもつと見ているのです。

それは、「白い」「光」という言葉を声に出して言った時、(「もの」そのものを表してはいない)「白い」「光、光っている」という音を伴った言葉が、現実を動かす力をもっていると信じるということです。

なんと言ったらよいのでしょう。

原始、言葉が使えるようになったころのー
言葉でイメージし伝え合えることー自体への、新鮮な驚きと喜びが、大本にあるのでしょうか。

こんな感性を、今、私たちは持てるでしょうか。

ものとことのベン図、一部重なり合う。(「もの」の黒実線の境界の内側に、水色鉛筆でもくもく雲の図と、「名詞=もの」の手書き説明。「こと(言・事)」の境界は黒点線でその内側に、水色鉛筆で「白い・イメージ・光っている・「形容詞=ものではない」の手書き説明)

(ここに、あの六波羅蜜寺の空也上人立像の、阿弥陀仏さまを口から迸らせているお姿がほんのり重なるのは、筆者だけでしょうか‥)

ピンクの色鉛筆で描かれたうさぎ、口から小さな仏様を出している上人図。黒鉛筆でセリフ「白い」「光」「光っている」

今、「言祝ぐ/寿ぐ」の言葉を一例に、言・事(こと)の部分に焦点を当て、その確認から言霊思想を描いてみております。

ではこの言霊思想にもとづく古代の視座により改めて、「色(の名前)」の生まれるさまを見直してみた時、どんな姿が見えてくるでしょう。

視座とは、物事を見る立場や姿勢のこと。

言霊思想のむこう―天地への畏敬、祈りがある中で色の名前を呼ぶ

朝焼けに染まる空と雲海(闇の開ける瞬間の山々を見下ろす。はるか遠方に白い雲がたなびく姿。地平線のような空と地上との境目には影がかって濃いめの紫の雲のような色彩。その上部にうっすら赤と橙のグラデーションが浮かぶ。その向こう、靄の中に朝日の気配)

色の名前を呼ぶ―名を授けること

「言祝ぐ/寿ぐ」という古語を通して見えてきた世界の姿は、まとめると、こんな形になります。

① 「言祝ぐ/寿ぐ」とは、 “口から放たれた言(こと)が、生じる事(こと)を動かす” と信じながら(=言霊思想)、祝う言葉を発すること。
②古(いにしえ)の人の中には、口から放たれた音としてのその言葉にさえ、畏敬の念をもつと共に霊力をも感じているという感性があるだろうこと。
③言・事(こと)とは、「具体的な目の前の『もの』から離れた、言葉・ “イメージ” 」ーそれ自体は『もの』でなく、目に見えないものだということ。

これらに通底する古代の視座とは、言い換えると、もしかしたら、「目に見えない存在への畏怖の意識がある」ということではないでしょうか。

「目に見えぬすべての存在」とは、言ってしまえば天地を動かす理(ことわり)、力、はたらきも含まれます。

また一方で、「具体的な目の前の『もの』から離れた、言葉・ “イメージ” 」―言・事(こと)にもつながります。

悠久の昔、そもそも言霊を信じた古人の中には、「もの」 から離れ(=抽象)、尚「もの」を生かし動かす「目に見えぬすべての存在」に霊力を感じ、畏怖し、敬うという心持ちが、おそらくまずありました。

その彼らが、最初名前を持たなかった自然存在そのものに、色を見分けて名前を呼ぶ瞬間を、「色」の生まれるさま、としてみます。

それは、遥かな時の中で言葉を持たず感じ続けていた色に、特別なにかを認めて、名前を授ける瞬間。

色の名前を呼ぶとは、世界の中に色を見出し名を授けるとは、どんな営みだったのでしょう。

もうひと息、想像してみます。

山のシルエットと星空(暗闇の中、山の上に広がる星空)

科学も何もなく、書き伝える術(すべ)も知らなかった時代、口から放たれた音としての言葉は、目に見えぬのに、天地(あめつち、即ち自然)が人を動かすのと同じように、人同士をも動かす力となっていた(と信じていた)のでしょう。

身体を包む世界には、人の手で動かしようもない自然存在が目の前にあって、自らを超えた “存在自体” に潜む力によって、自分たちは日々生かされ、動いている―。

その姿に、古人はどれほど、自らを超える力を感じ、その不思議さに慄いたことでしょう。

そんな中で、色の名前を呼ぶ―世界の中に色を見出し名を授けるとは、

“色そのものの向こうに、万物を動かし生かす霊力を初めに感じて、見る”

そんな姿勢のもとの行為だったのではないでしょうか。

名づける―敬い、在ることのありがたみに畏怖し、感謝し、幸ある関わりを祈ること

色に名づける―世界にある色を心にとめて、名づけて、呼ぶということ。

おそらく、人の名を呼ぶことと色の名を呼ぶことは原初どこか通ずるものがあり、

恨み呪い呼ぶのでない限り、色に名を授けることにも、

名もなき存在に名を授け、名を呼ぶ瞬間、その存在―
放たれた言葉にさえも、まず霊力を感じ、畏怖し、敬う心をもつ、何より愛しむような、そんな心の在り方がありましょう。

心の在り方とは、「世界との関わり方」でもあります。

そしてまた名を呼ぶ、名づけるとはきっと原初、
相手の存在を認め、自分の存在を認めてほしいと願うこと、幸ある関わりを願うことです。

美瑛の木と星空(白い満天の星空、プラネタリウムのよう。その下にひとつ、大きく佇む哲学の木のシルエット。無数の星々はまるで木のエナジーをあらわしているかのように映る。天の川かもしれない星々の流れ)

日本の和の色を巡る旅へ、言祝ぎ(寿ぎ)のこころと共に

まとめ 言祝ぎ(寿ぎ)のこころで色の名を呼ぶ

最後にもう一度、「言祝ぎ/寿ぎ」へ。

言祝ぐ、の「言(こと)」の後ろの「祝ぐ(ほく)」という言葉は、「祝う(いわう)」と同じ動詞ですが、古語においては現代語の感覚よりも、一層祈り信じる度合いが強かったようです。

・「いわう(いはふ)」の「い」は、不吉なものを避け、吉事を招くことを表す「いむ(忌む・斎む)」の「い」と同源。
「いわう(いはふ)」の「わう」は、「味わう」などの行為を意味する接尾語「わう」である。
古く、「祝い(祝う)」は、「祈る」「祭る」「崇める」といった意味で用いられた。
(※12  語源由来辞典「祝い」より)

・「ほく」は「祝福する」意味の動詞であるが、「祈って幸福を招く」といった意味が強く、「ことほき」も言葉によって幸福を招き入れる、言葉によって現実をあやつるといった、日本古代の言霊思想が反映された言葉であった。
(※13  語源由来辞典「ことぶき」より)

(下線:筆者強調)

古語において「祝ぐ(ほく)」という言葉は、現代語における、ただ「祝う」だけの意ではなく、「祈って幸福を招くこと」も意味しました。

つまり改めて「言祝ぐ/寿ぐ」とは、「言」=「事」つまり「口にする音としての言葉はそのまま現実の出来事になる」と信じながら、祈って幸を招こうと、言葉を口にすること、と解釈できます。

もし、「こと」の中に「色(の名前)」が含まれるのなら―

色の名前が生まれるまでには、古(いにしえ)の人が自然界に色を感じ、特別な存在だと見出し、その色(対象)を喜び、敬い、祝福する―言祝ぐ―という過程があったことでしょう。

なにより、その色の名を呼ぶことによって、幸せを、幸ある関わりを、願う気持ちが、今よりもどれほど強かったことか。

色の名を、声に出すことがそのまま祈りでさえあって、色と関わりながら、祈って幸福を招こうとしたことでしょう。

富士山ご来光(スマホ写真縦で撮影。下方に湖、はるか遠方より雲間から朝日零れる。薄いブルーからピンクへのグラデーション)

筆者撮影:
2017年9月30日5:30富士山ご来光

さいごに 日本の色・和の色を知るとは、今につながる ‟かつての心持ち” を知ること

日本の色・和の色を巡る時、かつての日本の色・和の色を知るとは、それは、日本の島々を包む風土の中で古(いにしえ)の人々が出会い、見出し、色に名づけた、その心持ちをも知ることとなります。

今回のように「言祝ぎ/寿ぎ」という古語を頼りに、ひも解いてみることもできます。

でももちろんそれは実証できない世界の話、日本の色・和の色に秘められた心持ちの味わい方は、無限に広がっています。

天を仰ぎ、はるかな空を眺めて、手で触れられぬ雲の姿と太陽の光に同じ感覚を覚え思わず、「白いな‥」とため息の言葉が零れ(こぼれ)る瞬間。

広がる空といつか見た海原の色とにたとえば、同じ「青」という名前を思い浮かべる瞬間。

そこにはきっと、途方もない時の中で、その場所で生きてきた共同体の集合意識が、共通認識となり、生まれたイメージが言葉・声となって発露する…という、結晶化のような営みがありましょう。

一方で、日本列島で生きてきた人々の集合意識はもしかしたら、数千年やそこらでは大して変わってなかったりして、 “かつての心持ち” は、今の私たちに無意識の領域でつながっているかもわかりません。

( “かつての心持ち” とは、まずは近代科学思想が入る前、あるいは人新世に変わるまでの、日本列島の人々の心持ち、といたしましょうか。)

古人のまなざしに触れる瞬間、「言語化できないもの・論理で説明できないもの」への本気の、敬いーのような心持ちが、筆者には感じられます。

彼らの世界との関わり方が、生存権を問われる人間にとってのどこか一縷の光のようで、心がうずくのです。

救いとして、身体になにか古来の感覚が残っているのでしょうか。古(いにしえ)の生きる知恵が、身の内に在り続けているような感慨さえ覚えます。

そんな、妄想でしか辿れない “かつての心持ち” ―を道標に、足元の風土の中で色が生まれ愛でられ名づけられてきた結晶化のような営み、そのありさまを、何がこれからの私たちに呼び起こされるかも楽しみに、取り上げていきたいと思います。

あの海原を染め空を彩る青という色は、どこから指してくるのか。天の彼方から射す光が三千世界を照らすとき、限りない色彩が生まれる。

志村ふくみ/著『色を奏でる』
筑摩書房、1998年、p.48「緑という色」

次回は:

第二回 日本の和の色の源、故郷―色の出発点:分け、名づけ、愛で、祈り言祝ぐ

《参考文献・註》(本文内該当箇所※表示)

    1. (1) 柳田國男・比嘉春潮/編『嶋』一誠社、1933年、第一巻第一号(創刊号)(巻頭言)「…故に単なる異郷興味と、限られた比較を以て満足することなく、一方にはこれだけ久しく離れ住む同胞の間にも、尚若干の絶ち切れない鏈鎖があり、否むべからざる強味弱味の共通點あることを悟り、行く行く(くの字点)は自分たちも亦一個の大なる島の島人であつたことを、意識するに至つて已むべきである。我々の記録は僅かにこの人生の學問の、一部の材料をしか供與し得ないであらうが、此志は必ず繼ぐ者があると信じてゐる。それは日本が世界に類の無い大島國であるが故に。又眞實を愛する國なるが故に。」(下線:筆者強調)(2) 長嶋俊介/編『日本ネシア論 (別冊環 ; 25)』、藤原書店、2019年6月、p.297
      8/18毎日新聞で別冊『環』25「日本ネシア論」紹介| 藤原書店オフィシャルサイト

      「海域の周縁を見る目、あるいは周縁からのまなざしは、世界が島の集まりという視点を提供し、さらに島としての世界における日本の位置と役割についての再考を促している。」

     

    1. 平山郁夫・渡邊明義・高田倭男・田渕俊夫・宮廽正明/監修・東京藝術大学大学院文化財保存日本画研究室/編『図解日本画用語事典』東京美術、2007年5月
    2. 📖🔍洞窟絵画
      (1) ショーヴェ・アルタミラ・ラスコーの洞窟壁画:後期旧石器時代のホモ・サピエンス、クロマニョン人によって約4万年前から1万年前にわたり描かれていたとされる壁画。絵画の起源として注目されています。
      ・ショーヴェ(フランス南部):3万2千年以上前
      ・アルタミラ(スペイン北部):約1万8千年前
      ・ラスコー(フランス西南部):約1万7千年前
      齋藤 亜矢/著『ヒトはなぜ絵を描くのか 芸術認知科学への招待』 岩波書店、2014年2月、pp.5-13

       

      (2) ホモ・サピエンスによる壁画はアジア(インドネシア:スラウェシ島マロス(約4万年前)・カリマンタン島(4万年以上前))等でも発見されています。

      NHKスペシャル「人類誕生」制作班/編・馬場悠男/監修『NHKスペシャル 人類誕生』学研プラス、2018年8月、p.140
      ⒞ Sara HUSSEIN『「世界最古の具象画」 4万年前の洞窟壁画、最新年代測定(国際ニュース)』AFPBB News、2018年11月8日、12:49
      MAYA WEI-HAAS/文・鈴木和博/訳『最古の動物壁画を発見、約4万年前、インドネシア/野生牛が3頭とおびただしい数の手形 ネイチャー誌』ナショナルジオグラフィック日本版サイト、2018年11月13日

    3. 千住 博/著『日本画を描く悦び オールカラー版』光文社、2013年10月、p.21
    4. 志村ふくみ/著『白のままでは生きられないー志村ふくみの言葉』求龍堂、2010年
    5. 佐治 ゆかり(郡山市立美術館) 今瀬 佐和(茨城県近代美術館) 山口 真有香(滋賀県立近代美術館) 大原 由佳子(滋賀県立近代美術館)株式会社NHKプロモーション/監修『志村ふくみ いのちを織る』、東京美術、2019年4月(展覧会「志村ふくみ展ー滋賀県立近代美術館コレクションを中心にー」図録兼用図書)

    6. 新作能「沖宮」公式HP(https://www.okinomiya.jp/)
      志村ふくみ・石牟礼道子/著『遺言 対談と往復書簡』筑摩書房、2014年10月(単行本)
      志村ふくみ・石牟礼道子/著『遺言 対談と往復書簡』筑摩書房、2018年9月(ちくま文庫)
    7. 前田富祺 /監修『日本語源大辞典』小学館、2005年
    8. 増井金典/著『日本語源広辞典』ミネルヴァ書房、2012年
    9. 佐々木隆/著『言霊とは何か 古代日本の信仰を読み解く』中央公論新社、2013年
    10. Weblio古語辞典 「こと-だま・言霊」『学研全訳古語辞典』提供:学研教育出版
    11. 語源由来辞典 「祝い」
    12. 語源由来辞典「ことぶき」
    13. 志村ふくみ/著『色を奏でる』筑摩書房、1998年
    14. 小野さや香(アーティスト/〜アートで ‘あいだ’ を整える〜研究舎ヨハク 代表/sayaka one creative 代表)/Facebook『研究舎ヨハク』2019年3月22日投稿、
      『研究者ヨハク』HP(https://www.yohaku-lab.com/about-us/)
    15. 📖🔍人新世(Anthropocene):人類の活動が地球の状況に影響をあたえる時代。1万1700年前に始まった「完新世」が終わり、新たな地質年代として大気化学者パウル・クルッツェンによって2000年、提唱された概念。開始時期がいつかについては議論が分かれています。
      「人新世(アントロポセン)とは・意味」
      「人新世(アントロポセン)」における人間とはどのような存在ですか?」

《画像クレジット》(引用画像について、本文内冒頭より採番。アイキャッチ(トップ)画像は末尾記載)

  1. 光り輝く海, photo by つるたま
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  2. 朝日を浴びる苔, photo by axis
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  3. 花の蜜を吸うベニシジミ, photo by axis
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  4. Earth at Night – Album on Imgur(NASA撮影)
    /NASA
  5. 田んぼからの虹, photo by Gaku0318
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  6. 水溜りと映り込む空, photo by カズキヒロ
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  7. 水面に咲く蓮の花, photo by しーくん
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  8. ローズクォーツのテクスチャー, photo by エリー
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  9. 清々しい青空, photo by webcre-R
    /フリー写真素材 Futta.NET
  10. 澄んだ青空と雲, photo by すしぱく
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  11. 上空からの雲, photo by すしぱく
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  12. アルプスの山々と雲, photo by すしぱく
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  13. 真夏日の日差しと青空, photo by すしぱく
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  14. 朝焼けに染まる空と雲海, photo by purple
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  15. 山のシルエットと星空, photo by Yamasha
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  16. 美瑛の木と星空, photo by 小林央
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  17. (アイキャッチ画像)ヨロン(与論島)の夜明け, photo by クマキチ
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  18. (プロフィール画像)クルミを咥えたリス
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テキスト・イラスト・写真:mayucocon

Direction & Editing
Project Direction / Editor-in-Chief: Taro Okazaki

プロジェクト統括・編集長:岡崎 太朗

1件のコメント

拝読しました。
言霊に関しては自分なりの法則性というか合点がいく考え方があって
繰り返し口にすることで、発言した人がそれを意識するようマインドセットされる(ロックオン精度があがる)、
周りの人も「この人は、これが好きなんだ、こうしたいんだ」と認識し記憶することで、発した人に間接的に筋道を示すことになる。その二つがマッチングしたときに「奇跡」とよばれる事象が起こる。
ユングの提唱した共時性(Synchronicity)にも通じますね。

空也うさぎのイラストから「あれ、日本史の便覧か何かで見た記憶が…」とグーグル検索に頼って思い出しましたw

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【プロジェクト統括・編集長】岡崎 太朗(Taro Okazaki)