横須賀市芦名の淡島神社では、桃の節句の3月3日に祭礼が行われる。麻を結んだ「底抜け柄杓」を奉納するしきたりが伝わり、神社前の芦名海岸では雛を海へ流す神事も行われてきた。安産・縁結びの信仰が根ざしたこの地の行事を、その由来とともに紹介する。
- 横須賀市芦名の淡島神社では、毎年3月3日に祭礼が行われる。市内で最も古い民間信仰の行事の一つとされ、民俗資料としても貴重な存在と評価されている。
- 祭礼の象徴が「底抜け柄杓」。柄に麻を結んで奉納するしきたりには、病の救済信仰を源とする安産・縁結びの願いが重ねられている。神道における麻の「清めの素材」としての性格とも通じる。
- 神社前の芦名海岸では、神職と巫女が船で沖へ出て雛を流す神事が行われる。淡島様がうつろ船で流された故事に由来し、淡島信仰が各地の流し雛の原型にもなったとされる。
- 御祭神・少彦名命と淡島明神の伝承、加太・淡嶋神社との関係など、信仰の成り立ちと広がりを読み物として紹介する。
Contents
桃の節句に重なる、芦名の祭礼

3月3日。雛を飾り、子どもの成長を願うこの日が、芦名の淡島神社では祭礼の日でもある。神社と浜辺がひと続きの舞台となり、古くからの民間信仰が今も形を保って引き継がれている。
横須賀市制70周年記念事業(1977年)として選出された「横須賀風物百選」の説明板には、この祭礼について「市内で行われている祭りのうちでも、最も古くからの民間信仰をよく伝えている行事の一つで、民俗資料としても貴重な存在」と記されている。
「底抜け柄杓」──麻を結び、安産と良縁を願う
この祭礼を象徴するのが、底の抜けた柄杓(ひしゃく)だ。柄に麻を結んで奉納するしきたりがあり、「水が抜けるように安産」という願いが重ねられてきたとされる。
「あわせてください淡島様よ、お礼参りは二人づれ。」──そうした言葉とともに、人々は底抜け柄杓を手に神社を訪れてきた。横須賀風物百選の説明板には、このしきたりについて「病の救済信仰によるもので、それが、安産、縁結び信仰に結びついたもの」と記されており、信仰の層の重なりを示している。
麻と神道──清めの素材としての広がり
「麻を結んで奉納する」という所作は、淡島信仰の文脈だけでなく、神道における麻の位置づけからも読み解くことができる。
神道では古代から、麻は祓い清めに欠かせない素材として扱われてきた。「幣(ぬさ)」は麻の古い呼び方でもあり、コトバンク(精選版 日本国語大辞典)によれば「麻や木綿などでつくった神に奉る供え物、また罪穢〈つみけがれ〉を祓う祓串〈はらえぐし〉や贖物〈あがもの〉を意味する」とされる。
神職がお祓いの際に用いる「大麻(おおぬさ)」も、もとは麻繊維を束ねたものが原形であり、麻の繊維は注連縄や鈴緒にも用いられてきた。いずれも、神聖な場と日常の境を区切り、清めの力を持つ素材としての麻という認識が共通している。
底抜け柄杓に麻を結ぶという芦名の祭礼のしきたりが、こうした祓いの伝統と直接つながるかどうかは、現時点では確認できる資料がない。ただ、安産・病の救済を願う信仰の場に麻が用いられてきたことの背景には、清めの素材としての麻に対する感覚が広く根づいていたことが関係していると見ることもできる。
芦名海岸の「流し雛」──船で浜を離れ、海へ

祭礼では、神社前の芦名海岸から神職と巫女が船に乗り、雛を流す神事が行われる。神社が配布する双体の流し雛を小船に載せ、芦名の浜から海へと流す。陸の行事であるはずの雛祭りが、ここでは海へと向かう──その風景が、この土地の記憶として受け継がれてきた。
なぜ海へ流すのか──淡島様が流された故事と重なる
横須賀市観光情報によれば、この流し雛は「淡島さまがうつろ船で流された故事」に由来するとされている。前節で記した淡島明神の伝承──綾の巻物と神楽の太鼓を積み込んで紀州の淡島へ流されたという物語──が、雛を海に流すという行為の根拠としてここに重なる。流されることで救済の誓いを立てた神に、雛を託して流す。芦名の神事が海へ向かう理由は、この伝承の構造そのものにある。
淡島信仰が各地の流し雛を生んだ
加太・淡嶋神社の社報(富岡八幡宮掲載)には、「古くより各地に伝わる『流し雛』も淡島信仰の影響を受けたものが多く、淡島神社に直接参拝できない女性が病の治癒を願って淡島様へ雛を流したものとされる」と記されている。
江戸時代、淡島明神の厨子を背負って各地を回り御神徳を説いた「淡島願人(あわしまがんにん)」と呼ばれる人々の存在が、信仰を全国へ広める一因となったとされる。直接参拝できない女性たちが、雛に願いを託して海や川へ流すという形で信仰と結びついていった経緯が、各地の流し雛の背景にある。
芦名の淡島神社が加太・淡嶋神社から御霊を勧請したことを踏まえると、芦名の流し雛もこうした淡島信仰の広がりの延長線上にある行事と見ることができる。
祭神と淡島信仰──少彦名命、そして女性たちの祈り

歌川国芳, Public domain, via Wikimedia Commons
淡島神社の御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。横須賀風物百選の説明板によれば、「体は小さく敏しょうで、忍耐力に優れ、大国主命と協力して国土の警衛にあたり、人々や家畜のために医薬やまじないを行った神」とされる。
当社の淡島明神は、和歌山市の加太・淡嶋神社(かだじんじゃ)の御霊をこの地に迎えて祀ったものと伝えられている。
淡島明神の由来──流された神が、女性を救う誓いを立てた
説明板には、淡島明神の伝承がこう記されている。
淡島明神は天照大神(あまてらすおおかみ)の妹で、住吉明神のきさきとなった神だったが、「こしけ」(帯下〈たいげ〉とも書く。腟からの分泌物、いわゆる「おりもの」にあたる語で、異常な状態を指して用いることもある)の病があるために離縁となり、綾の巻物と神楽の太鼓を天の岩船に積み込んで紀州の淡島(粟島)に流されたという。その地で、女であるがゆえに腰の痛みの苦しみから人々を救うことを誓って神になった、と語り伝えられている。
流されながらも誓いを立てた神の物語は、古くから女性の信仰を集めてきた淡島信仰の核心にある。底抜け柄杓に麻を結ぶという行為も、こうした救済信仰の延長線上に位置づけられる。
創建の時代──平安後期へとさかのぼる
神社の創建年代は不明とされているが、横須賀風物百選の説明板では「おそらく隣接する12所神社と同じころの平安後期ではないか」と記されている。正確な記録は残らないものの、千年近くにわたって地域の信仰を支えてきた場所であることが、この地の祭礼の重みを裏付けている。
訪ねるときのために

淡島神社は横須賀市芦名1-18-29に位置し、駐車場はない。公共交通を利用する場合は、京急「逗子・葉山」駅方面からバスで「芦名」下車、徒歩約15分が目安とされている。
淡島神社の祭礼は、桃の節句という暦に安産や良縁の祈りを重ね、さらに海へとひらいてきた行事だ。「底抜け柄杓」を結び、雛を流す──その所作が、芦名の浜辺の風景とともに受け継がれてきた。
- 行事:淡島神社の祭礼(3月3日)/流し雛
- 所在:横須賀市芦名1-18-29
- アクセス:バス「芦名」下車、徒歩約15分
- 駐車場:なし
- 祭礼に関する問い合わせ:046-856-0707
横須賀市観光情報「淡島神社祭礼・流し雛」
(https://www.cocoyoko.net/event/awashima-zinzya.html)
横須賀市観光情報「3月3日 淡島神社祭礼・流し雛」
(https://oogusu.yokosuka-kanko.com/news/3%e6%9c%883%e6%97%a5-%e6%b7%a1%e5%b3%b6%e7%a5%9e%e7%a4%be%e7%a5%ad%e7%a4%bc%e3%83%bb%e6%b5%81%e3%81%97%e9%9b%9b-3/)
横須賀市制70周年記念「横須賀風物百選」説明板「淡島神社の祭礼」(1977年)
加太・淡嶋神社 公式サイト
(https://www.kada.jp/awashima/index.html)
富岡八幡宮 社報 淡嶋神社寄稿(http://www.tomiokahachimangu.or.jp/shahouRenew/backNumber/h2101/htmls/p02.html)
コトバンク「こしけ」小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)(https://kotobank.jp/word/%E3%81%93%E3%81%97%E3%81%91-64688)
コトバンク「大麻(神道)」精選版 日本国語大辞典(https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%BA%BB%28%E7%A5%9E%E9%81%93%29-1512660)





















