アニソンの歴史【昭和編】誕生~アニメブームとその終焉

レコードとスピーカーの山に埋もれる古いブラウン管テレビの写真

「アニソン」ことアニメソングは、今や一つの音楽ジャンルとして確立するほど私たちの身近な存在になっています。みなさんのスマホや音楽プレーヤーに神曲が一曲は入っていることでしょう。

街中でヘッドフォンを身に着け、電車を待っている人の写真写真出典:O-DAN

ではアニソンはいつ、どのようにして生まれ、人気を得るようになったのでしょうか? 当時を知る方も、いざ問われると言葉にするのは難しいかもしれません。

ここではアニソンの歴史を、アニメそのものの歴史、あるいは世間の動きを交えながらご紹介します。

まずは【昭和編】です。紹介する名曲の一部は動画も記載いたしますので、歴史の軌跡に思いを馳せながら、もしくは昔を思い出しながら聞いてみてはいかがでしょうか。

アニソンの黎明期(1963-1968)

アニソンの誕生

国産アニメ第一号が1917年(大正6年)に誕生し、アニメがまだ「テレビまんが」と呼ばれていた時代のことです。CDなんてまだ存在せず、レコードの時代でした。レコード・トーキー(※)『黒ニャゴ』は同名の童謡をアニメ化した作品で、BGMに使われたこのレコードがアニソンの始まりだと言われています。

レコードに針がふれ、音楽が流れている

※レコード・トーキー……当時は映像と音声を別媒体に保存しており、はじめに映像を再生し、画面上に「スタート」等合図が現れたタイミングでレコードを再生。そうして映像本編とレコード音声をシンクロ(同期)させるシステムを取っていた。

しかしこれは既存の曲に映像を付けたもので、現在でいうNHK「みんなのうた」に似た雰囲気を覚え、一般的なアニメらしさ・アニソンらしさはあまり感じられませんね。
現在のアニメソングのようにアニメ本編に寄り添い、人気や知名度、商業ベースで確立した曲の元祖は一体何でしょうか?

「アニメ」の元祖『鉄腕アトム』誕生!

♪「鉄腕アトム(アトムマーチ)」-『鉄腕アトム』(1963年)

正解は、『鉄腕アトム』です。1963年(昭和38年、以下S何年と記載)から放送を開始しました。

ファンファーレのように華やかな出だしは、誰もが聞き覚えがあることでしょう。上高田少年合唱団による歌入りバージョンもありますが、初代のOPはこのインストでした。『鉄腕アトム』の主題歌は当時の実写ヒーローものの流れをくむ行進曲調で、且つ元気で明るい曲であったため子供たちの心に大いに響きました。

ちなみに、『鉄腕アトム』は一回30分の番組を週1で放送するという現在のテレビアニメの基本を作り上げました。主題歌やBGMを収録した「ソノシート(※)」の発売も日本初であり、『鉄腕アトム・第1集』は120万部を売り上げ、翌年6月発売の『鉄腕アトム・第2集』も80万部を売り上げました。

レコード右半分にソノシートが置かれている写真。ソノシートはとても薄いため、下のレコードが透けて見える。

※ソノシート……録音盤の一種。塩化ビニール製で、これまでのレコード盤と比べて音質は劣るものの、極めて薄く軽く安価であったため世界的に普及した。写真右の赤い円盤がソノシート。

『アトム』に追い付け! 「レコード」がヒットした同期のアニメ

『鉄腕アトム』はアニメのあらゆる形態の模範となりました。アトムの後に作られたアニメをいくつかご紹介します。年表をご覧ください。(以下、年表はすべて筆者作)

アニメの1963-68年の年表

アニソン方面から見た主な出来事といえば、1966年(S41)5月、『オバケのQ太郎』のED曲「オバQ音頭」がレコードだけで200万枚以上売上げ、ミリオンセラーになりました。

また、7月に『ジャングル大帝』の主題歌・挿入歌を収録したLPレコード『ジャングル大帝 ヒット・パレード』が、11月に劇伴音楽を交響曲として再構成したLPレコード『子どものための交響詩 ジャングル大帝』が発売されました。
今やサントラCDやオーケストラアレンジCDは一般的ですが、どちらも「LPレコード」としては日本初の商品でした。

ではここで『鉄腕アトム』と同時期の名主題歌をひとつを聞いてみましょう。

♪「ゆけゆけ飛雄馬」-『巨人の星』(1968年)

※0:00~1:13で該当の曲を聞くことができます。

主人公の星飛雄馬と父・一徹がうさぎ跳びしている様子を姉・明子が陰から見守っているシーンはあまりにも有名ですね。

「ゆけゆけ飛雄馬」は、番組プロデューサーに「こんな旧制高等学校の寮歌のようなイメージの古い歌は採用されないだろう」と思われていたが、スポンサーに大ウケしたとのこと。
結果、泥臭く、汗臭い雰囲気が本編の作風にマッチした曲は視聴者の心にも大いに響きました。この曲を収録したレコードは複数の会社から発売されました。

「子供向け」からの脱出(1969-1973)

『アトム』に影響を受けた「子供向け」アニメ

前述したように『鉄腕アトム』はテレビアニメに大いに影響を与えました。良くも悪くもアトムに影響を受けてた作品が多く登場します。

つまり、下記のような子供(12歳以下)向けアニメが多く作られたということです。大人はそれまでに見慣れていた番組(時代劇やドラマなど)の方が関心高く、アニメにあまり興味を示さなかったことも理由に挙げられます。

アニメの1969年の年表

玉川砂記子による「ムーミンのテーマ」のカバーが第12回日本レコード大賞(1970年、S41)の「童謡賞」を受賞したことや、アニソンに子供の合唱団がメインあるいはコーラスで起用されていることからも、この時代、アニメが子供のための番組・音楽だったことが分かるでしょう。

斬新なアニメの登場でファン層拡大

しかし、70年代になると、少年少女より少し大人びた年の主人公が登場する作品や、幅広い世代にウケるギャグアニメが作られるようになります。

アニメの1970-73年の年表

音楽方面でも、斬新な曲調であったり、当時の音楽シーンにおける高技術を駆使した主題歌が徐々に作られはじめます。それにつれ、だんだんアニメが12歳以上の学生たちにも浸透していきます。アニソンが「子供の歌」から脱していく時代が到来するのです。

具体的な例を2曲聞いてみましょう。

♪「あしたのジョー」-『あしたのジョー』(1970年)

※0:00~1:13で該当の曲を聞くことができます。

今までの子供向けの元気いっぱいの曲とは正反対の、トランペットの音色が渋い、切ないブルースです。
『あしたのジョー』はスポーツもの、ボクシングものの概念を超えて幅広い世代に愛される名作となりました。

歌詞中のハミングは歌手が歌詞を見過ごしてアドリブで歌ったものが面白くて採用した、というエピソードもあります。

♪「マジンガーZ」-『マジンガーZ』(1972年)

このMVで聞くことができる曲は2018年(平成30年)の『劇場版 マジンガーZ/INFINITY』のために新規録音されたバージョンですが、オリジナルとかけ離れたアレンジというわけではありませんので、紹介いたします。

アニメのタイトルを連呼する、ボーカルが高音で終わるなど、今でこそ古き良きアニソンですが、この曲こそが「らしさ」を開拓しました。またこの曲の歌手である「アニソン界の帝王」「アニキ」こと水木一郎の出世作となります。

水木については次節でもご紹介します。

「アニソン歌手」の登場

「アニソンのらしさ」が定まるにつれ、歌手の歌い方や声質に求められるものも決まってきました。結果として、アニソンを得意とする「アニソン歌手」が誕生することになります。

ここで当時から現役で活躍し、現在もアニメソング界のトップに君臨する4名の歌手をご紹介します。

水木一郎

※水木が歌う『侍ジャイアンツ』のOPは0:00~1:35、EDは23:13~24:13で聞くことができます。歌手名の「松本茂之」は水木の変名。

1971年(S46)、『原始少年リュウ』のOPを歌唱。以降、活動の中心をアニメソングへと移し、最初の4年間だけで約150曲の子供向け番組・アニメの主題曲を発表しました。1973年(S48)発売の『マジンガーZ』の主題歌レコードは70万枚、1978年発売の『宇宙海賊キャプテンハーロック』主題歌レコードは当時アニソンとしては驚異的な初回プレス15万枚の大ヒットを記録しました。

【当時の主な曲】
♪「マジンガーZ」-『マジンガーZ』(1972年)OP
♪「侍ジャイアンツ」-『侍ジャイアンツ』(1973年)OP
♪「鋼鉄ジーグのうた」「ひろしのテーマ」-『鋼鉄ジーグ』(1975年)OP・ED
♪「キャプテンハーロック」「われらの旅立ち」 -『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978年)OP・ED

子門真人

※子門が歌う『科学忍者隊ガッチャマン』のEDは23:44~25:11で聞くことができます。

1971年(S46)、『仮面ライダー』の主題歌を歌唱し、EP盤が130万枚超の大ヒットに。以降、アニメソング・特撮ソングのほか、「およげ!たいやきくん」(1975年、S50)など、当時の子供心に響く名曲を数多く歌い上げました。

【当時の主な曲】
♪「レッツゴー!! ライダーキック」「仮面ライダーのうた」-『仮面ライダー』(1971年)OP・ED
♪「ガッチャマンの歌」-『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)ED
♪「勇者ライディーン」「おれは洸だ」-『勇者ライディーン』(1975年)OP・ED

ささきいさお

※ささきが歌う『新造人間キャシャーン』のOPは0:20~1:25で聞くことができます。

代表曲に「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」など、アニメソングで多くのヒット曲を持つことから「アニメソング界の大王」と呼ばれています。前述の2曲の主題歌は一世を風靡し、どちらもミリオンセラーを記録しています。

【当時の主な曲】
♪「たたかえ! キャシャーン」-『新造人間キャシャーン』(1973年)OP
♪「宇宙戦艦ヤマト」-『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)OP
♪「進め! ゴレンジャー」-『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)主題歌 ※堀江美都子とのデュエット曲
♪「銀河鉄道999」「青い地球」-『銀河鉄道999』(1978年)OP・ED

堀江美都子

※堀江が歌う『ハクション大魔王』のEDは24:00~25:23で聞くことができます。

「アニメソングの女王」。のちに声優としても活躍し、『愛してナイト』『ひみつのアッコちゃん(第2期)』『私のあしながおじさん』など、主題歌・主演の双方を担当した作品も多くあります。

【当時の主な曲】
♪「アクビ娘の歌」-『ハクション大魔王』(1969年)ED
♪「サザエさんのうた」-『サザエさん』(1969年)OP
♪「あしたがすき」-『キャンディ・キャンディ』(1976年)主題歌・ED

日本のアニメ界を揺るがす二大作品の登場!(1974-1977)

『ハイジ』『ヤマト』登場

1974年、ついにあの作品たちが登場します。映像・演出・ストーリー面だけでなく主題歌が空前のヒットを記録する、『アルプスの少女ハイジ』『宇宙戦艦ヤマト』です。

またこの時代、多くのアニソンの制作・発売を手がけた「日本コロムビア」は、老舗レコード会社のノウハウと制作環境を駆使し、アレンジや録音に力を入れたクオリティの高い楽曲を次々に生み出しました。先述したアニソン歌手を起用し、「アニソンらしさ」をより高度で決定的なものにしていきます。

『アルプスの少女ハイジ』(1974年)

スイス・アルプス山脈の写真。色とりどりの花が咲く草原の奥に、雪をまとったマッターホルンが高くそびえている。写真出典:O-DAN

ヨハンナ・スピリの同名小説を原作とし、下記の若き日の豪華制作者たちによって作られました。

高畑勲(ハイジでは演出を担当。のちにスタジオジブリ、『母をたずねて三千里』など)
宮崎駿(演画面設定を担当。のちにスタジオジブリ、『風の谷のナウシカ』など)
小田部羊一(作画を担当。のちに「スーパーマリオ」シリーズキャラクターデザインなど)

彼らをはじめとするスタッフが海外現地調査のためスイスに赴きました。成果を作品に生かし、結果、ハイジは高クオリティのアニメーションとして完成し、日本はもちろんヨーロッパ、アラブ諸国、アフリカ、アジアなど世界中の国々でも放送される世界的傑作となりました。

OP主題歌「おしえて」も作曲者が実費でスイスを訪れたり、録音も現地で行う(アニソン初の海外録音)など、大変な気合が入っています。ホルンとハープ、ヨーデルのコーラスが用いられ、アルプスの風景を思わせる純度の高い音楽となっています。特にヨーデルは、子供たちに本物を聞いてもらいたい、という日本コロムビア社スタッフの思いから、現地のスイス人歌手が歌っています。

『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)

宇宙と銀河の写真。光り輝くいくつもの星屑と大きな銀河がある写真出典:O-DAN

実は、当初の『ヤマト』は同時間帯に放送されていた『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』などの影響もあって視聴率が低迷、全51話の予定を26話で終了してしまっています。ヤマト人気は、再放送およびテレビシリーズ版を再編集した劇場映画(1977年、S52)で火が付くこととなり、社会現象とも言える大ブームとなるのです。

『ヤマト』の戦争描写、繰り広げられる人間ドラマと主人公の成長、SFの細かな設定は、放映当時のアニメーション作品としては斬新な試みでした。このような複雑さが多感な中高校生・大学生の視聴者にまで響いたのです。子供のものと思われていたアニメが、いよいよハイティーン層のファンを獲得することに至ったのです。

※4:02~6:27でOP「宇宙戦艦ヤマト」のインストアレンジを聞くことができます。動画は劇場版『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』(2014年、平成24年)のもの。

OP「宇宙戦艦ヤマト」はマーチ調で男の信念を歌い上げる熱い曲で、高校野球の応援歌やJR西日本呉線呉駅の接近メロディなどに採用されるなど、21世紀になった現代でも厚く支持されています。ロマン漂う男声コーラス入りのバラードのED「真赤なスカーフ」も大ヒットしました。

アニソンがあの大物アイドルに並ぶヒット!?

「宇宙戦艦ヤマト」を歌ったのは前述したとおり「アニソン歌手」ささきいさおであり、この曲は1977年(S52)に堀江美都子の『キャンディ・キャンディ』主題歌「あしたがすき」と一緒に、第10回日本レコードセールス大賞(現・オリコン年間ランキング)の「オリコン特別賞」を受賞しました。

同年の大賞はあのピンク・レディーであり、特別賞とはいえアニソンが大物アイドルと肩を並べることになろうとは、凄まじい快挙です。

アニメの1974-77年の年表

ハイジやヤマトと同時期に放送したアニメの主題歌を、他にも聞いてみましょう。

♪「ルパン三世のテーマ」-『ルパン三世 PART2』(1977年)

※0:00~1:21で該当の曲を聞くことができます。

『ルパン三世』の第一シリーズは1971年(S46)から放送をスタートしましたが、当時は大人向けアニメはウケなかったため視聴率低迷で打ち切りに。しかし時と再放送を重ねるうちに人気が再熱し、『ヤマト』効果で環境が整った1977年(S52)から第二シリーズを開始しました。

第二シリーズからは大野雄二が音楽を担当。当時すでに珍しくなったインストの新OPが大ヒットし、ルパン音楽の代名詞となりました。「子供に聞かせるつもりで作らないぞ」「ちょっと背伸びして聞いてもらいたいぞ」という作曲者の思いが反映された、ジャズ調のカッコイイテーマソングです。

空前の「アニメ」ブーム到来!(1978-1982)

『宇宙戦艦ヤマト』や『ルパン三世』の流行によりアニメはハイティーン~20代まで浸透し、空前のアニメブームが到来します。この時期から「テレビまんが」ではなく「アニメ」の呼び方が定着します。

またこの頃から、ビクター、キャニオン、キングレコードなど大手の音楽メーカーがアニメ音楽に本格参入し、クオリティの高い曲がたくさん作られるようになります。

このような世間の流れを受けて、『ヤマト』で開拓されたばかりのハイティーンのアニメファンをターゲットに、アニメ会社「日本サンライズ(現・サンライズ)」がとあるアニメを制作します。

登場! ガンダム

※OPは0:00~1:29で聞くことができます。

そう『機動戦士ガンダム』(1979年、S54)です。

子供向けアニメの域を脱せなかったロボットアニメでしたが、『ガンダム』の斬新かつリアリズムある作風がハイティーンにウケました。特に、物語の主軸に据えられた主人公の社会的成長、人対人の戦争を舞台としたリアリティに富んだ人間ドラマ、現実兵器らしいロボット兵器「モビルスーツ」が爆発的な人気要素でした。

OP「翔べ! ガンダム」、ED「永遠にアムロ」は今までの流れを汲んだ古き良きアニソンでしたが、挿入歌「いまはおやすみ」や、中高生を中心とした熱狂的なファンの後押しを受けて制作された劇場版(1981年、S56)の「砂の十字架」「哀戦士」「めぐりあい」などの曲は当時一般的に流行していたニューミュージックの要素を含んでおり、大人の心にも大いに響きました。

※EDは11:21~12:21で聞くことができます。

アニソンと歌謡曲の垣根が薄れる

1979年(S54)に発売されたテレビシリーズのサントラ『機動戦士ガンダム II 戦場で』は同年、キングレコードのLPダイヤモンド賞を受賞し、挿入歌「いまはおやすみ」のシングルは1981年(S56)のシングルヒット賞を受賞。劇場版の『めぐりあい宇宙』のサントラも1982年(S57)のLPダイヤモンド賞を受賞しました。

アニメの1978-82年の年表

こうして、曲調としても商業ベースとしても、アニソンとポピュラー音楽(歌謡曲)との垣根が薄れてきます。ガンダムと同時期のアニメの主題歌で、その例となる曲をほかにも聞いてみましょう。

♪「薔薇は美しく散る」-『ベルサイユのばら』(1979年)

※1:17~2:50で該当の曲を聞くことができます。

注目すべきは作曲者の馬飼野康二です。彼は歌謡曲・ポピュラー音楽の作曲・編曲家として、70年代から現在に至るまで第一線で活躍しています。西城秀樹、小泉今日子、山口百恵、近藤真彦、Kinki Kidsなど多くの歌手の楽曲を手掛けています。1978年(S53)の『新・エースをねらえ!』からアニメにも携わるようになりました。

クラシカルな雰囲気あふれる弦楽器と、エレクトリックなベースやドラムスが組み合わさって、ダンスミュージックを思わせる現代的なサウンドに仕上がっています。絶妙なこのテクニックはヒットメーカーの技と言えるでしょう。

【馬飼野康二による主なアニソン】
♪「銀色ドレス」-『機動戦士Ζガンダム』(1985年)挿入歌
♪「勇気100%」-『忍たま乱太郎』(1993年)OP。「四方八方肘鉄砲」をはじめとする、忍たまの数多くの主題歌も。
♪「Hey World」-『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』(2015年)OP

アニソンの一般化~アニメブームの終焉(1983-1988)

歌謡曲を超えるアニソン、ついに誕生!

1983年(S58)、ついにアニソンで初めてオリコン週間1位、月間1位、なんと年間でも6位を記録する大ヒット曲が誕生します。さっそく聞いてみましょう。

♪「CAT’S EYE」-『キャッツ・アイ』(1983年)

※0:00~1:29で該当の曲を聞くことができます。

この曲も歌詞に作品タイトルが含まれてはいますが、かなり自然に溶け込んでおり、本編を知らなければアニソンとは気づきにくいでしょう。

歌った杏里は洗練された音楽を持ち味にしていたアーティストだったため、初めはアニメの曲を歌うことに抵抗があったようですが、楽曲の都会的なクールなサウンドが心に響いて、自分を変えるきっかけになるかも……という予感がしたそう。

結果的に大ヒットし前述の賞を受賞したり、同年の第34回NHK紅白歌合戦、1984年(S59)春の第56回選抜高等学校野球大会入場行進曲にも選出されることとなります。アニメソングがセンバツの入場行進曲に選出されるのは初めてのことでした。歌番組やラジオでも何度も取り上げられました。

このようにアニソンが歌謡曲と同等以上の流行歌となる時代が、ついに到来したのです。

 

♪「ミッドナイト・サブマリン」「ドリーム・シティ・ネオ・トキオ」-『未来警察ウラシマン』(1983年)

※0:00~1:23でOP、22:40~23:42でEDを聞くことができます。

「CAT’S EYE」と同い年のアニソンです。

OP「ミッドナイト・サブマリン」、ED「ドリーム・シティ・ネオ・トキオ」ともに歌・編曲はロックバンドTALIZMANで活躍したHARRYで、歌謡曲のヒットメーカーたちにより作詞・作曲された音楽を、更に都会的で洗練されたかっこいいナンバーに仕上げました。

突然2050年にタイムスリップし、記憶を失った主人公は未来都市ネオ・トキオを守る機動メカ分署の刑事に。仲間たちと共に敵の犯罪帝国に立ち向かう────というSFアクション作品です。コミカルな描写が多く、本編はやや低年齢層向けですが、80年代はこのような当時の流行や都会的・大人的な雰囲気を感じさせる主題歌が大変人気でした。

アニメの1983-84年の年表

アニメブームの終焉とニューエイジ

順調に見えたアニメですが1984年(S59)いっぱいでブームが去ったといわれています。

理由としてはある、アニメのファンがその作品が終わった後の「次」を求めなかったため、とされています。その作品だけのファン、で完結してしまったということです。かつて『ヤマト』のファンを引き継いだ『ガンダム』のように、作品を超えた「アニメファン」を生み出す作品がガンダム以降に生まれなかったということでしょう。

アニメは再び子供向けのものとなっていきました。

アニメの1985-88年の年表

しかし、注目したいのはアニメブームが去った80年代後半、昭和ラストに放送を開始した『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』といった現在でも超人気の作品たちです。こういった新しい子供向けアニメが、新世代のファンを獲得していくのです。

また、現在も放送中の『それいけ!アンパンマン』もこの時期に始まります。幼児・園児時代からアニメに触れ、アニメ自体に抵抗のない世代が生まれ始めたことでしょう。

♪「水の星へ愛をこめて」-『機動戦士Ζガンダム』(1985年)

この時期のアニソンとして忘れてはいけない曲です。「アニソンらしいアニソン」から脱し、歌謡曲やニューミュージックを意識した曲を出したのち、アニソンが次の目標としたのは洋楽でした。

『機動戦士Ζガンダム』はアメリカの人気歌手・作曲家のニール・セダカに主題曲を依頼し、前期OP・EDで彼の既存曲の日本語カバーを、後期OPで新規提供曲「水の星へ愛をこめて」を採用しました。しっとりと歌い上げる新鮮なメロディは多くの視聴者の心に響きました。

動画は令和になってからのセルフカバーです。これは新しいアレンジによるカバーですが、オリジナルの編曲者は先述の馬飼野康二でした。当時アニメブームは去っていましたが、スタッフのこだわりは緩まなかったのです。

まとめ~平成編へ~

和室の白黒テレビの画像

『鉄腕アトム』の誕生により、しばらくは子供向けに作られていたアニメが、『宇宙戦艦ヤマト』そして『機動戦士ガンダム』を経て大人も楽しめる作品に。アニソンも子供の歌から背伸びして歌謡曲を意識、「CAT’S EYE」でついにジャンルを超える大ヒットとなりました。

記事は数々の「神曲」が誕生する、【平成編】に続きます。

参考:「日本懐かしアニソン大全」腹巻猫&レコード探偵、辰巳出版、2018年

1件のコメント

大正時代に「テレビまんが」はないでしょうよ。(テレビそのものがないんだから)
当時の呼称としては漫画映画かな?
業界内では昭和30年代からアニメーションと呼んでいたでしょうが、アニメという言い方が業界を超えて一般化するのは1980年前後からだと思います。
『ヤマト』『あしたのジョー』『銀河鉄道999』『ガンダム』らのアニメブームを経てアニメ雑誌が雨後の筍のように乱立した世相を受けて世間にアニメという言葉が浸透していったと思います。
また従来の小学生以下を対象とした「テレビまんが」に対してヤングアダルト層以上を対象とした作品が増えたことで、紙媒体における漫画⇔劇画のように敢えて別の呼び名を与えることで送り手側も受け手側もキッズコンテンツとは違うジャンルという印象を持ってもらいたかったのだと思います。

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Yo-Ohtaki
2年間のヨーロッパ留学から帰国したのち、いままで何も考えずに受け止めていた日本の文化や生活の魅力に気づく。趣味である音楽・文化・旅行方面からのアプローチを中心に「まだ知らない日本」をご紹介します。