世界の食卓にメイドインジャパン~新潟県燕市カトラリー~

燕カトラリー「SUNAO」のフォークとスプーンとナイフ

江戸から続くものづくりの街

新潟県燕市は全国有数のものづくりで知られる街。

中でも燕のカトラリーは世界に誇るジャパンクオリティとして人々を惹きつけています。

今回はそんな燕のカトラリーの魅力に迫りましょう。

世界が認めた「TSUBAME」のカトラリー

ノーベル氏が描かれた金のメダル
参照:ODAN

毎年12月10日に行われるノーベル賞の授賞式。授賞式後の晩餐会で、実は日本製のカトラリー(ナイフ・フォーク・スプーンなどの総称)が1991年から使われていることを皆さんはご存知でしょうか?

古くからものづくりの街として栄えてきた新潟県燕市、この地で栄誉ある晩餐会のカトラリーは作られているのです。

 

パーティー会場の白いテーブルクロスがかけられているテーブルの上にナプキンやグラス、カトラリーが並んでいて真ん中に花が生けられている。
参照:ODAN

このカトラリーを作っている新潟県燕市の会社山崎金属工業は、戦前からノーベル賞の聖地スウェーデンと取引があったことが選ばれた理由の一つです。

しかしそれだけでなく、海外においても燕の金属加工技術は広く知られており、世界が認めるジャパンクオリティであったからこそ、日本のカトラリーが採用されるという快挙を成し遂げられたのも確固たる事実です。

ではなぜ欧米食文化の必需品が燕市で発展し、メイドインジャパンとして今の地位を築き上げたのでしょうか...その謎を一緒に解き明かしていきましょう。

災害復興の陰の立役者 和釘

一面に広がる黄金色の稲
参照:ODAN

新潟と言えば「お米」を最初に思い浮かべる人も多いかと思います。

燕地域も例外ではなく、当時から有数の米どころとして栄えていました。

しかし江戸時代のはじめ、五十嵐川と信濃川の氾濫による度重なる洪水災害で、稲作が上手くいかず、農民たちは窮地に追い込まれていました。

事態を重く受け止めた代官大谷清兵衛は、江戸から和釘鍛冶職人を招き、農民たちに製造法を覚えてもらい、農業の副業として「和釘づくり」を奨励したのです。

 

木の板に刺さった古い釘

参照:足成

この「和釘」は、その後の燕地域の金属加工産業の礎になりました。

和釘職人は当時1,000人以上にものぼり、江戸時代から明治初期に至るまで、燕の産業の80%は和釘の生産が占めるまでに発展しました。

そしてこの和釘産業の発展は県内だけにとどまらず、1657年に起こった明暦の大火(江戸の大火の中でも被害が大きかったもの)では、信濃川から船で運ばれた燕の和釘が江戸の復興に大変役に立ったとされています。

こうして、燕の和釘は日本中に知られていくこととなったのです。

銅の発見が新たな技術の発展に

トンネルのような薄暗い穴に明かりがともされている銅山
haku-さんによる写真ACからの写真

1688年、越後の間瀬村に銅山が開かれました。

燕地域ではこれを契機に、銅器の生産も盛んになり始めました。

間瀬銅山で採れる銅は、伸縮性があり良質で、銅器づくりには大変適していたのです。

またその評判から、自然と会津や仙台から銅器制作を得意とする職人たちが燕に技術を結集したことで、江戸時代から続く燕の伝統工芸でもある「鎚起銅器」が生まれました。

一枚の銅板を金槌で叩いて、継ぎ目なく作るこの鎚起銅器は実に美しいフォルムで、この技術こそが、その後の燕を「洋食器(カトラリー)の街」として発展させるきっかけになっていったのです。

 

銅でできた丸いフォルムのやかん
参照:ODAN

銅の精錬工場が稼働し始めると、江戸で需要の多いキセル(喫煙道具)や携帯用の筆記用具矢立が次々につくられるようになりました。

また、銅鍋や銅やかんなど生活用品も大量生産され、日本の各地に流通していきました。

その頃の日本は、明治維新による文明開化と開国の大きな波に乗り、洋釘が大量に輸入され、燕の和釘もその影響を免れられなくなりました。

需要は少しずつ減っていき、ついには自然消滅。和釘職人が失業を強いられる中で、彼らは自らの技術を銅器づくりに役立てながらシフトチェンジしていきました。

1件の注文が燕を変えた 洋食器の街の誕生

海に浮かぶ海上自衛隊の船と青空
フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)

明治の終盤には全国的に不況となり銅の価格が高騰し、ホーローやアルミ製品が普及し始めました。

キセルは紙巻きたばこへ、矢立は万年筆へ、銅はアルミへと時代の移り変わりとともに生活用品の仕様も変化していき、今まで燕を支えてきた産業は絶滅の危機にさらされていました。

そんな苦境の中、明治44年燕の「捧(ささげ)商店」が東京の貿易商からの依頼で、横浜の海軍に向けた金属食器の注文を受けます。

これが大きな転機となりました。

 

ステンレスっぽい材質のスプーンとフォークとナイフが大商本ずつ綺麗に並んでいる
proustさんによる写真ACからの写真

依頼を受けた洋食器の製造は、今まで培ってきた金属加工技術に則って、進められていきました。

まず燕の職人はフォークの試作に着手、その評判が良かったのを契機に、スプーンの製作にも取り掛かりました。

さらにナイフに関しては、鎌倉時代から続く刀鍛冶で有名な岐阜県関市の刀鍛冶職人を呼び、製造を成功させることが出来ました。

 

輸出船
参照:ODAN

これらのカトラリーは当初第一次世界大戦下のドイツから輸入できなくなったイギリスの受注が主で、ほとんどが東南アジアやヨーロッパに向けた輸出品として取り扱われていました。

その後はロシアからの受注が殺到し、すべて手加工だった製造の機械化も進んだため、さらに大量生産が可能となり、勢いを増していったのです。

こうして燕市は、「洋食器の街」として広く知られるようになりました。

戦後の逆境を乗り越え、燕の現在

白いテーブルクロスがひかれた上に白い食器とカラフルな料理。フォークとナイフとオリーブオイルのようなもの。
参照:ODAN

第二次世界大戦後、被害が少なかった燕の洋食器工業はすぐに再開しました。

戦後日本を占領していたアメリカ軍の受注が多く、燕で生産されるものの9割が輸出用でそのうちの7割は米国に向けての製品でした。

そのため生産は比較的安定していましたが米国の同業界から大きな反発があり、輸出規制がかかったことで事態は日米貿易摩擦へと発展していきます。

その後も1971年のドルショック、1973年のオイルショックと立て続けに経済危機が起こり、更には他国の発展によるライバルの出現で燕の洋食器工業は大打撃を受けました。

 

カトラリー
参照:ODAN

それでも燕の人々は諦めませんでした。

輸出国の範囲を広げ、国内でのニーズにも順応に対応し、さらなる商品開発を進めながら国内外の需要を地道に伸ばしていきました。

逆境の中でも常に解決策を見出し、発展を遂げていく中で、ノーベル賞晩餐会をはじめとする様々なシーンでの「燕カトラリー」が人々の目に留まり、ジャパンクオリティの輝きを今も尚放ち続けているのです。

燕カトラリーの魅力

燕のカトラリーには他にはない魅力が凝縮されています。

世界中に愛される燕ブランドの世界を覗いてみましょう。

実際に使ってみて

筆者が実際に持っている筆者私物 燕カトラリー「SUNAO」のフォークとスプーンとナイフ
筆者私物 燕カトラリー「SUNAO」

筆者の出身が新潟県ということもあり、新潟に住む従妹が引っ越し祝いに、燕振興工業のテーブルウェアブランドの一つ「SUNAO」のカトラリーセットをプレゼントしてくれました。

恥ずかしながら、それまで100円ショップのカトラリーを使っていたので一目見た時の違いは歴然でした。

まず丸いフォルムと重厚感、それでいてスタイリッシュなデザインは食卓をワンランク上に上げてくれます。

日本の食卓にマッチし、日本人の手に馴染む小ぶりなつくり、考え抜かれた機能性は古くから金属工業に従事してきた燕ならではのジャパンクオリティだと敬服しました。

この他にも様々な燕ブランドが肩を並べているので、「我が家」にぴったりのデザインにきっと皆さんも出会えるはずです。

有名インダストリアルデザイナーとのコラボ

 

インダストリアルデザイナー柳宗理氏の全身写真白黒

柳宗理

「装飾のないところに真の装飾がある」というフランス人建築家ル・コルビュジエの言葉に影響を受け、運命を切り開いていった日本を代表するインダストリアルデザイナーの一人、柳宗理氏。(宗理の祖父は、三重伊勢志摩真珠の記事でクローズアップした真珠王御木本氏を支援した柳楢悦

彼がデザインした燕のカトラリーも話題を呼んでいます。

個性的なデザインでありながらも肌なじみが良く、使い手の気持ちを尊重したデザインは、燕の職人技と通じるところがある気がしてなりません。

実際柳氏のデザインを忠実に再現するのは大変難しく、職人たちと柳氏の努力の結晶と言っても決して大げさな表現ではないと思います。こだわり抜かれた逸品をぜひ手に取って、確かめてみてください。

カトラリーをもっと知る

身近にあるけれど意外と知らないカトラリーの取り扱い方。

素材によっても使い心地が違うカトラリーそのものを少し探ってみましょう。

素材を知ることで変化する取扱い方

カトラリーを流しで洗っている様子
参照:ODAN

少し背伸びして良いカトラリーを買ったからには、錆(さび)などにできるだけ気を付けて取り扱いたいものです。

また、素材によってもガラッと食卓の雰囲気が変わるので、自分の暮らしにあったものを見つけたいですよね。

ステンレス

ステンレスのフォークとナイフ
参照:ODAN

日本製のカトラリーに一番多く用いられている素材です。

クロム(クロミウム)と呼ばれる金属がステンレスの保護膜として作用しているため、錆びにくいのが特徴です。

またこのクロムは、水や酸素によって傷がついても再生されるので、美しさを常に保つことが出来ます。

そのため、保管時には空気の触れる場所に置いておくのが大切です。

 洋白(ニッケルシルバー)

ニッケルシルバーのカトラリーと緑のナプキン
参照:ODAN

高価な純銀製カトラリーの代替として考えられた素材で、この素材の登場によりシルバーカトラリーは貴族だけでなく市民に普及しました。

温かみがあり、銅が主成分なので柔らかく成型が自由自在なのが特徴です。

また食器と触れ合う音の響きにも高級感があります。

ステンレスとは違い空気に触れると錆びが出てしまう可能性があるので、頻繁に使わない場合は、完全に乾燥し、ビニール袋等に入れ、中の空気を抜いた状態で保存するのが好ましいです。

ホーロー

青いタイルのような机の上に白いホーローの食器とカトラリー
ハピネスさんによる写真ACからの写真

ホーロー(琺瑯)と聞くと、鍋や七宝焼きを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

ホーローとは鉄やアルミニウムなどの金属にガラス質の釉薬(うわぐすり)を高温で焼きつけたものになります。

このホーローをカトラリーの素材として使っている燕のブランドもあります。

ホーローは、金属特有の強度と熱伝導率に加え、ガラス特有の錆びにくさと光沢という両素材の良いとこどりなため、機能性に大変優れています。

油汚れも付きにくく、見た目もポップなので、女性人気も高い素材になっています。

アルミ

アルミ素材の調理器具
参照:ODAN

1円玉や空き缶に使われている皆さんの良く知るアルミ(アルミニウム)。

軽くて無害無臭なので、お子さんも安心して使うことが出来ます。

また熱伝導率が非常に高いため、アイスクリームを食べる際などにはアルミのスプーンを使用すると手の体温が伝わって柔らかくなり、とても食べやすいのでぜひ試してみてください。

 

 

カトラリー検定に挑戦

白いテーブルクロスの上にカトラリーとお皿が並んでいるパーティー会場の様子。
参照:ODAN

今や欧米の食文化には欠かせないカトラリーの存在ですが、実際ヨーロッパでフォーク・スプーン・ナイフのワンセットが常備されたのは19世紀に入ってからでした。

中世以前のヨーロッパではフォークはあくまでも装飾品の一つで、貴族であっても手づかみで食べていたと聞くと驚きを隠せないですよね。

このようなカトラリーの歴史や、使い方、種類や製造工程を網羅した燕のご当地検定「カトラリー検定」があります。カトラリーについてもっと深く知ることで、普段の食事がさらに楽しくなるのはもちろんのこと、燕の魅力を更に感じることが出来ます。

興味のある人は、資格取得に向けて勉強してみるのも楽しいかもしれません。

 

ジャパンクオリティに触れる

銅でできた輝く銅色のマグカップが二つ並んでいる
参照:ODAN

最後にご紹介するのは、燕の技術を体感できる施設「燕市産業史料館」です。燕の伝統工芸である鎚起銅器や職人たちの銘品が展示されているので、燕の金属加工技術の素晴らしさを間近に見ることが出来ます。

また実際に純銅のタンブラーやスプーンを作る体験ができるので(別料金)、職人技に触れながら、自分だけのジャパンクオリティを手に入れてみませんか。

 

燕市産業史料館
住所:新潟県燕市大曲4330-1
TEL:0256-63-7666
開館時間:午前9時~午後4時30分
定休日:月曜日(祝休日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始
入館料:大人400円、小・中学生、高校生100円
http://www.tsubame-shiryoukan.jp/

 

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Honami
大学卒業後、アパレル企業に就職するも、毎日深夜に声を枯らして帰宅する生活に疑問を感じ、幼少期を過ごしたフランスへ癒しを求め遊学。 自分よりも日本を知る外国人達との出会いで恥を知る。 帰国後はファッション専門学校で広報職を経て、現在に至る。 旅行・ビール・ファッション大好き。 関連する記事