ナチスドイツからユダヤ人を救った杉原千畝と『シンドラー』とは?(2)

ナチスドイツの虐殺からユダヤ人を救ったシンドラー

杉原千畝は第二次世界大戦中「命のビザ」発給により多くのにユダヤ人を救い「東洋のシンドラー」「日本のシンドラー」と呼ばれるようになった。

この「シンドラー」という名は杉原千畝と同じく第二次世界大戦中にナチスドイツの虐殺からユダヤ人を救ったドイツ人実業家『オスカー・シンドラー』の名からきている。

約1200人のユダヤ人を救った、シンドラーの物語はスティーヴン・スピルバーグ監督によって1993年に映画化され『シンドラーのリスト(Schindler’s List)』として公開された。映画は第66回アカデミー賞で12部門にノミネートされ7部門で受賞、今も高い評価を受けている。

この映画によってシンドラーの名は世界に広く知れ渡ることとなった。ではこれらのモデルとなった「シンドラー」とはいったいどのような人物だったのか?

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 「日本のシンドラー」「シンドラーのリスト」のモデルとなったオスカー・シンドラーとは?

ナチスドイツの虐殺から多くのユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーの肖像写真

オスカー・シンドラー(Oskar Schindler)はドイツ人の実業家で、第二次世界大戦中、自身が経営する工場で必要な人員確保という名目のもと、約1200人ものユダヤ人の命をナチスによるガス室での虐殺から救った人物である。

シンドラーは1908年4月28日、当時オーストリア・ハンガリー帝国領だったメーレン地方(モラヴィア地方)のツヴィッタウ(現・チェコのスヴィタヴィ)において、農業機械の工場を経営する父ヨハン・ハンス・シンドラーと母フランツィスカ・ファニーの間に長男として生まれ、エルフリーデという妹が一人いた。

ユダヤ人の救世主シンドラーはナチス党員だった!?

シンドラーは1935年にはズデーテン・ドイツ人の指導者的存在だったコンラート・ヘンライン率いる「ズデーテン・ドイツ郷土戦線(後のズデーテン・ドイツ人党)」というドイツ系ズデーテン住民によるドイツ民族主義的な政党に入党した。

ここを通じてヴィルヘルム・カナリス提督率いるドイツ国防軍諜報部「アプヴェール」と接触し、その諜報員として現在のチェコやポーランドで活動。

チェコにおけるシンドラーの諜報活動が露見した際、大叛逆罪の罪で死刑の宣告を受けるが、1938年10月にドイツ軍によるズデーテン併合があったため、刑の執行は中止された。

その後シンドラーは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に志願して入党。

アプヴェールでの仕事から身を引いたシンドラーは、ドイツのポーランド侵攻に合わせ、戦争での一儲けを狙い、ポーランドのクラクフに向かった。

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