ラフカディオ・ハーン「小泉八雲」近代日本と古事記

ラフカディオ・ハーン、日本帰化名・小泉八雲(こいずみ やくも)はギリシャ生まれのイギリス人です。 1890(明治23)年来日し、その後日本に魅せられた彼は作家・日本研究家として日本の文化を世界へと広めました。

ラフカディオ・ハーンが来日した明治のころの日本と世界の状況、そして彼に大きな影響を与えたという「古事記」について見ていきましょう。

ラフカディオ・ハーンを取り巻く日本・世界の環境

まずは当時の日本と世界の状況を振り返っておきましょう。

ペリーの黒船来航(1853年)を契機に明治維新を成し遂げた日本は近代化に向けて突き進んでいます。

明治維新後の日本と欧米文明 〜急速な近代化〜

1871年、明治維新の中心人物で公家(貴族)であった岩倉具視を団長とする岩倉使節団が横浜港を出発、1873年までアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国を歴訪し、欧米先進文明をどん欲に取り入れようとします。

江戸時代末期に諸外国と結ばれた不平等条約の改正交渉という目的はありましたが、それ以上に欧米諸国を視察、その近代文明を導入することで富国強兵を推進、帝国主義・植民地支配を推し進める欧米列強に対峙しようとするものでした。

西南戦争でのラストサムライ・西郷隆盛軍の敗退(1877年)で江戸時代までの武士制度は一掃され、1885年には明治維新の元勲・伊藤博文が初代首相となりました。

1889年には大日本帝国憲法が発布され、ラフカディオ・ハーンが来日した1890年には第1回衆議院議員総選挙が行われました。

そして1894年には日清戦争が勃発、ラフカディオ・ハーンが死去した1904年には日露戦争が起こっています。

日本はそれまでの日本の文化や風習・システムをかなぐり捨て、欧米世界と肩を並べるべく近代化に邁進していたのです。

欧米の教師たち、つまり「お雇い外国人」に日本が求めたものは欧米の政治・経済制度や科学技術の伝授だけでした。

この「お雇い外国人」の代表的な人物の一人が英国人B・H・チェンバレンでした。

1873年、23歳の若さで来日したチェンバレンは、海軍兵学寮(後の海軍兵学校・東京)での英語教師を経て、1886年から東京帝国大学の外国人教師に就任。 日本滞在中の1882年に古事記を英訳、最も著名な日本研究家の一人として知られています。

しかしながら、チェンバレンの「古事記」翻訳の動機はその中身・コンテンツの追求というより、未開の地の神話を扱うことで当時の英国比較神話学の学界での自らの地位向上を目論んだものであったようです。

この背景には帝国主義に基づく英国の(未開の地などを対象とした)植民地支配の推進があり、思想背景にはキリスト教という正義がありました。

そしてこうした近代文明は、すべてラフカディオ・ハーンが嫌っていたキリスト教をバックボーンとしたものだったのです。

ラフカディオ・ハーンの訪日・その後の経緯

さてラフカディオ・ハーンに話を戻します。

紆余曲折はありましたが一応、ジャーナリストとして評価のあったラフカディオ・ハーンは1890(明治23)年、アメリカ合衆国の出版社の通信員として来日を果たします。

ニューヨークからカナダバンクーバーに立ち寄り、そこを3月末に出立、太平洋を渡って4月4日、横浜港に着くことができたのです。

当時、バンクーバー~横浜間の航海は11日間要したといわれています。

しかし訪日して早々に合衆国の出版社との間で契約上のトラブルが発生し、彼は通信員としての立場を失います。

そんな彼の日本での活動を助けたのが、1885年にニューオリンズで開催された万国博覧会で出会った文部官僚の服部一三、さらには当時「お雇い外国人」として東大教師の立場にもあったB・H・チェンバレンでした。

服部一三(この当時・文部省普通学務局長)らの紹介・斡旋があり、島根県尋常中学校(現・島根県立松江北高等学校)と島根県尋常師範学校(現・島根大学)の英語教師に任じられました。

ラフカディオ・ハーンが日本で初めて居を構えた場所は島根県松江でした。

この場所こそ彼がひそかに望んでいた場所。

彼を日本へ誘った「古事記」の「出雲神話」の舞台です。

ラフカディオ・ハーンを日本へ誘った「古事記」に記されていた「出雲神話」

ではこの「古事記」には何が記されているのでしょうか。

「古事記」全体の3分の1を占めるといわれる「出雲神話」ですが、その最もポイントとされるものが「国譲り」です。

今の天皇の祖先となる天照大御神(あまてらすおおかみ)に大国主神(おおくにぬしのかみ)が統治していた出雲国(日本)を平和的な形で譲るという物語です。

天照大御神に象徴される政権が、武力と政治により、それまで出雲地域を中心に日本を統治していた大国主神に象徴される政権に「国譲り」(政権移譲)をさせたもの、と考えられています。

天照大御神に象徴される政権とは、古代日本で初めて国家を統一した大和朝廷で、だからこそ今の天皇の祖先となっているのですが、大国主神に象徴される政権とは、それまで対抗していた異なる権力と想定されています。

これらは「神話」の世界として描かれていますが、ほぼ事実に近い政争・政治現象があったのでは、と考えられているのです。

母が生まれ、自らが生誕した島はイギリスの保護領であり、後にギリシャに編入されます。
また父の生まれたアイルランドもイギリスの植民地であったことから、「国譲り」 という類似性がラフカディオ・ハーンに「古事記」「出雲神話」への共感を与えたのではないでしょうか。

あるいは弱い立場の場所に生まれ、また悲劇ともいえる半生を抱く彼にとって、(唯一絶対の神ではなく)「国譲り」をさせられる出雲の神(あるいは多くの神々)の存在を認める日本の神話は非常に共感できる物語だったのではないでしょうか。

島根県には出雲大社があります。

出雲大社は大和朝廷との戦いに敗れた政権・出雲族を祀る鎮魂の社とされ、こうした弱者への目線がラフカディオ・ハーンにはありました。

自らの日本名「小泉八雲」の「八雲」は出雲国にかかる枕詞(和歌における修辞)の「八雲立つ」からきている、とされているのです。

1891年、島根県尋常中学校の教頭のすすめで、松江の士族小泉家の娘・小泉節子(1868年~1932年)と生活をともにするようになり、 三男一女を授かります。

ラフカディオ・ハーン「小泉八雲」日本文化を世界に広めた彼の人生

おすすめラフカディオ・ハーン記事一覧

ラフカディオ・ハーン『小泉八雲』の生涯
ラフカディオ・ハーン「小泉八雲」日本文化との出会い。妻セツとの写真

カバー画像出展:Wikipedia掲載画像

1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA