『そばごちそう門前』江戸から続く名物「深大寺そば」の歴史と文化を守り伝え続ける/深大寺そば巡りインタビュー

「深大寺そば」の名店を巡る!そば好きのGuidoor Media(ガイドアメディア)編集部が調布深大寺周辺の深大寺そば屋を巡り、「深大寺そば」の魅力を探っていきます。

今回は深大寺山門前にある『そばごちそう門前』さんでお話を伺ってきました。「深大寺そば」の伝統と歴史を伝える老舗そば屋です。

社会派文学の巨匠、松本清張ともゆかりがあるという『そばごちそう門前』さん。深大寺と「深大寺そば」に対する熱い想いを伺いました。

『そばごちそう 門前』4代目ご主人(左)と5代目(右)

『そばごちそう 門前』4代目ご主人(左)と5代目(右)

『そばごちそう門前』絶品深大寺そば

深大寺そば「そばごちそう門前」の「あらびき蕎麦」

そばごちそう門前 あらびき蕎麦(もり)

深大寺そば「そばごちそう門前」の「とろろ蕎麦」

そばごちそう門前 とろろ蕎麦

そばごちそう門前さん:『門前』自慢の「深大寺そば」は、あらびき蕎麦(もり)(¥850)、とろろ蕎麦(¥1050)です。そば粉は全て厳選した国内産のそば粉を使用しています。

そばの風味が強く、そばの甘みが味わえ、程よい弾力、コシがしっかりしているのが特徴ですね。

かつての「深大寺そば」はもともと、粗い、そばの殻が多く入った粉であったといいます。

「あらびき蕎麦」にはオリジナルブレンドのあらびきしたそば粉を使っています。ひきたてのそば粉だから香りがとても良いんです。

そばの系統で言いますと、いわゆる出雲の田舎そば系になりますかね。出雲そばの特徴としては、わざと「そばの殻」を多く入れるんですよ。そこが共通点です。

そば屋にとって最も大切なもの。こだわりの江戸前の「汁」(つゆ)

深大寺そば「そばごちそう門前」の「あらびきそば」

そばごちそう門前さん:そば屋にとって最も大切なものである「汁」(つゆ)です。昔からつゆは「そば屋の命」と言われてきました。

『そばごちそう門前』の「そば」にとって最適な「つゆ」を大切に守り育ててきました。

門前の「あらびき蕎麦」は個性の強いそばです。このそばに負けない汁として、江戸前の「辛汁」を基本とした汁に、薬味として辛味大根を合わせて召し上がっていただいています。当店の「あらびき蕎麦」の風味と、そばが持つ甘みを楽しんでいただけたらと思います。

そばの『つゆ』は「かえし」というベースとお出汁が合わさって一つの『つゆ』となっています。

どのような『つゆ』を使うかは、それぞれのそば屋の流儀によります。

「かえし」には、醤油、みりん、砂糖の3種類のものが入っています。それを一つの味に整えるのが江戸前の味です。決してばらけてはいけないのです。

よいそばの「つゆ」というのは、お湯や、そば湯で薄めてもその一つの味が崩れず、ばらけません。どれだけ薄くなっても「つゆ」の本質が変わらないのが良い「つゆ」です。

薄めるとその汁がよいものかどうかが分かります。味がばらけない、これが江戸前の「つゆ」です。

浅草にある老舗そば店「並木藪蕎麦(なみきやぶそば)」さんの「つゆ」などは見事なものですね。老舗のそば屋がどれほど真剣に「つゆ」に向き合い、作られているかがわかります。

「ダシが効いている」なんてセリフがよく言われるますが、本来の江戸前の「つゆ」はそうではありません。醤油、みりん、砂糖の三つの材料のどれかが立つのではなく、調和され一本の筋になっている汁こそが江戸前の汁です。

温かいそばのかけ汁は、またこれは変わってきます。必然的に「ダシ」が多く入ったものになるため、「ダシが効いている」となりますね。

『そばごちそう 門前』屋号に込められた思い

深大寺そば「そばごちそう門前」の店構え

そばごちそう門前さん:今から約30年前に「深大寺そば調べ」のために地元の方たちから「聞き書き」を行い、そば作り(そば打ち)を教えてもらいました。

このとき話を聞きつけた古老の人達が、例外なしに仰っていたのが「そばはごちそうだった」という言葉でした。

土地の人達が普段日常に食していたのは「うどん」などだったようです。そんな人々にとって晴れの日や、行事食として、そばを食すということはまさに「ごちそう」だったのですね。

私はこの言葉から店名に「そばごちそう」を冠した次第です。

「深大寺そば」はお寺の文化。元々武蔵野の人々が食していたのは「うどん」だった

そばごちそう門前さん:深大寺そばの「そば」はお寺の文化で、元々武蔵野の人々が食していたのは「うどん」でした。土地の人々は普段はそばを食べることができなかったんですね。

年越しそばも、「年越しうどん」だったそうです。大きな農家さんはそばを食べることもあったかもしれませんが、基本的に「そば」は「おもてなし」をするためのものだったんですね。特別な日や、お祝いなどでたまに食べられるものだったそうです。

当時のそばは三割そば粉が入っていれば、それが「そば」だったんです。グルメとして食べるようなものではなかったんです。

そこに「そばごちそう」のエッセンスがあると私は考えています。

もともとお寺に江戸の文化が伝えられ、その文化を代々お寺が守ってきました。深大寺の住職は代々江戸から来ていたんですよ。

土地の人々が「そば」を一生懸命育てて、粉に挽いて、お寺に奉納する。それをお寺の人々がそばを打って客人をもてなしていたんですね。

そんな代々受け継がれてきた「深大寺そば」をこの深大寺の地で食べる、これはやはり他では味わえない格別なものだと思います。

かつての「深大寺そば」に思いを馳せる

「そばごちそう門前」の粗い蕎麦の殻が入った「あらびきそば」

粗びきのそば殼が多く入っている『そばごちそう門前』の「あらびき蕎麦」

そばごちそう門前さん:当店の「あらびき蕎麦」はそんなかつての深大寺そばの姿に近いと思います。

深大寺の檀家さんである農家の方に教えていただいた、代々深大寺で食べられていたそば。それは素人が家で作る「そば」なんです。

素人が挽くのでそば粉も荒く、つながりにくい。繋がりにくいから必然的に小麦粉もたくさん使いますよね。手作業でするため、そばの殼(黒い皮)も多く入る。しかし、ひきたてのそば粉を使うため香りがとてもいいんですよ。

そこから考えるにかつての「深大寺そば」はそばのタイプとしては「田舎そば」、「出雲そば」に近い、よく似たものだったのではないだろうかと考えています。出雲そばの特徴と類似するのは、そば殻が多く入っている点です。

『そばごちそう門前』と松本清張の縁

そばごちそう門前さん:松本清張さんの「砂の器」の舞台でもある、島根県亀嵩村(現在の奥出雲町)。ここは出雲そばで有名で、よいそば粉が採れる場所だったんですよ。

門前のお客様にたまたま亀嵩の人がいらっしゃいました。ある日その人が、亀嵩のそば粉を持ってきてくれたんですよ。これがなんとも言えない感触の粉で、本当によいそば粉でした。

その亀嵩とのご縁もあり、門前のお客様だった松本清張さんがらみで何かメニューができないかと考え、それで始めたのが「あらびき蕎麦」なんです。これが大ヒットしました。

かつての深大寺の人々が食べていたのはこのようなそばであったのではないだろうか、と私は思います。

その後、亀嵩のそば粉はご主人が亡くられ、そば作りをやめてしまいました。そのため一度は「あらびき蕎麦」もお出しできなくなったんです。

でも多くのお客様から「また食べたい!どうしてもまたやってくれ。」との声をいただきまして、新たに「あらびき蕎麦」に合うそば粉を探し求めました。そこで「白神山地」の良質なそば粉に出会い、また「あらびき蕎麦」を再開することができるようになったんです。

『そばごちそう門前』と松本清張さんの想い出

原稿を前にタバコを持つ松本清張

松本 清張(1909年12月21日 〜 1992年8月4日)
数多くのベストセラーを生み出した戦後日本を代表する作家の一人。

そばごちそう門前さん:松本清張さんがよくお越しになられていた当時は、松本清張さん専用メニューがあったんですよ。ふらっと彼がお店を訪れると、後は「清張さんが来ましたよ。」と厨房に告げるだけでした。

松本清張さんがいつも召し上がっていたのは、山菜の天ぷら、あらびきのとろろそば、そして当時お出ししていたニジマスの塩焼きです。

当時は当店にはメニューも何もありませんでした。もりそばだけをやっていたんですよ。

私の父が厨房でニジマスをさばいてお出ししていました。実はその姿が「波の塔」にも出てくるんですよ。初めて読んだときに、「あぁこれは親父だ。」と思いましたね。

【波の塔(なみのとう)】

松本清張の長編小説「波の塔」。1959年5月から「女性自身」で連載された長編恋愛ロマン小説。
主人公はとある縁で出会った女性と、お互いの素性を知らないまま恋に落ちていく。この二人を主軸に様々な登場人物との複雑な人間模様が描かれている、松本清張の代表作の一つ。

1960年6月に光文社(カッパ・ノベルス)から刊行され、松竹で映画化もされている。その後何度もテレビドラマ化もされている。

「江戸東京野菜」にも登録された『深大寺そば』

そばごちそう門前さん:深大寺の「そば」は江戸東京野菜にも登録されたんですよ。江戸東京野菜には約50品目ほどが登録されています。その中の「野菜以外のもの(小麦、ひえ、あわ、穀物など)」というジャンルに“深大寺のソバ”として登録されました。

品種登録としてはできないから、在来種としてですね。この土地の「そば」であり、長く作り続けている作物として登録されたんです。

「江戸東京野菜」とは

江戸東京野菜は、江戸期から始まる東京の野菜文化を継承するとともに、種苗の大半が自給または、近隣の種苗商により確保されていた昭和中期(昭和40年頃)までのいわゆる在来種、または在来の栽培法等に由来する野菜のこと。

JA東京中央会:「江戸野菜について」

登録申請前には、当時の深大寺御住職にも相談し、快諾を受けることができました。その後息子である5代目とも話し合いながら、「深大寺在来種のそば」として無事登録認定していただけました。

深大寺そばを守り、伝え続けることは簡単ではありませんが、私は続けていきたいと思っています。

深大寺「そば守り観音」の手にあるものは?

深大寺そば守観音の手には「おちょこ」と「蕎麦の実」が持たれている

そばごちそう門前さん:「そば守り観音」の作成には私の父が関わっていました。「そば守り観音」の観音さまが手に何を持っているかご存知ですか?観音さまなので、左手に持つのは通常ハスの花という決まりがあります。

「そば守り観音」を作ることになった彫刻家の方がハスの花の代わりに、そばの花を持たせようと思ったそうです。そこで父が彫刻家を連れて戸隠まで蕎麦の花を見に行ったんですよ。

しかし実際に蕎麦の花を見た彫刻家が「これは石で掘っても表現できないな。」と。そこでそばの実を持たせることになったんです。

右手には徳利を持っています。中身は酒でも「つゆ」でもいい。そこは見る人におまかせです。これを知っている人はなかなかいないかもしれません。

江戸時代のガイドブック「江戸名所図会」と「深大寺そば」

そばごちそう門前さん:「江戸名所図会」(えどめいしょずえ)を皆さんご存知でしょうか。江戸後期に刊行されていた本です。今でいう、観光案内、ガイド本ですね。江戸に観光に来た人たちがこれを買って、読みながら観光に回る。そして故郷へのお土産に持って帰るものだったんですね。

神社仏閣などが多く掲載されていた。そこに江戸時代の深大寺が登場するんですよ。

深大寺の紹介のところにお坊さんが、おそばを振舞っている挿絵が入っています。

『そばごちそう門前』の店前に掲げている、のぼり旗の字には、この「江戸名所図会」に載っている「深大寺そば」の字を使っています。

『そばごちそう門前』の「江戸名所図会」に掲載されている“深大寺蕎麦”の文字が使われているのぼり旗

『そばごちそう門前』の店前に掲げられているのぼり旗には「江戸名所図会」に掲載されている“深大寺蕎麦”の文字が使われている

『そばごちそう門前』の名物「あらびき蕎麦」をぜひ深大寺で

そばごちそう門前さん:自分が実際に深大寺そばを打って深大寺に奉納し、30年この土地のそばの味と向き合い続けてきました。そうしていると自然に深大寺に対する思い、向き合い方が違ってきますね。

「深大寺そば」が江戸時代になぜこんなに高く評価されていたのか。それを実感としてよく理解できるようになりました。

深大寺の「そば」は非常に甘い香りが強いんです。深大寺周辺は環境的に高原地帯ではありませんが、昔はもっと高原地帯によく似た環境だったんです。昔から湧き水が豊富な土地でもあります。

昔私が夏の朝に山門に立つと、靄がかかっていました。そして、その靄がそばの畑にもかかっていたんです。いわゆる「霧下蕎麦」です。畑のそばに朝霧が降りてくるんですよね。

かつての深大寺周辺ではそういう環境で「そば」を作っていたんです。「そば」というのは、まさにその土地、環境の味なんです。

武蔵野の自然が色濃く残るのがここ深大寺です。この自然の中ですするそばこそが深大寺そばの最大の魅力ではないでしょうか。『そばごちそう門前』の外席は山門の下というロケーションで、エアー感に満ちた、深大寺でも最高の客席の一つです。

安心と安全そして解放感に満ちた客席でのお食事こそ、深大寺ならではのことと存じます。

武蔵野を愛した作家、松本清張さんとのご縁で生まれた、『そばごちそう門前』の名物「あらびき蕎麦」をぜひ深大寺で一度召し上がっていただければと思います。

そばごちそう門前 アクセスと店舗情報

深大寺そば「そばごちそう門前」の店構え

住所  :東京都調布市深大寺元町5-13-5
電話  :042-487-1815
営業時間:11:00~16:00 (そばがなくなり次第終了)
定休日 :月曜 ※祝日の場合は営業 (振替休業あり)
駐車場 :なし
(団体で駐車場が必要な場合は、有料駐車場を予約可)
ペット :可
公式WEBそばごちそう門前

深大寺そばマップ そばごちそう門前

【そばごちそう門前詳細情報】

深大寺そば「そばごちそう門前」の店構え

【深大寺そば特集】

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