ユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝が外交官を目指すまで /「杉原千畝物語」(1)

杉原千畝 失意の中、満洲国外交部退官

雪が積もる窓辺に人が背中を向けて立ち、寒そうな海を見ている様子。

しかし杉原千畝は、日本外交きっての「ロシア通」という評価を得てまもなく、1935年(昭和10年)には満洲国外交部を退官。

その理由として、ロシア語が堪能だった杉原に対し、関東軍から破格の金銭的条件と引き換えに軍部のスパイになるよう強要されたことや、満州での軍人たちの目に余る暴挙への憤慨があったとされており、「驕慢、無責任、出世主義、一匹狼の年若い職業軍人の充満する満洲国への出向三年の宮仕えが、ホトホト厭」になり外交部を辞任したという。

杉原の手記には「当時の日本では、既に軍人が各所に進出して横暴を極めていたのであります。私は元々こうした軍人のやり方には批判的であり、職業軍人に利用されることは不本意ではあったが、日本の軍国主義の陰りは、その後のヨーロッパ勤務にもついて回りました」と激しい言葉で記されており、この頃から杉原は日本の軍国主義を冷ややかな目で見るようになる。

杉原にスパイになることを拒絶された関東軍は、報復として最初の妻であるロシア人のクラウディアが「ソ連側のスパイである」という風説を流布し、結果としてこれが離婚の決定的理由になった。

満洲国は建前上は独立国だったが、実質上の支配者は関東軍であったため、関東軍からの要請を断り同時に満洲国の官吏として勤務し続けることは、事実上不可能だったのだ。

ソ連と関東軍の双方から忌避された杉原は、のちに満洲国外交部を辞めた理由を妻の幸子に尋ねられた際、関東軍の横暴に対する憤慨から、「日本人は中国人に対してひどい扱いをしている。同じ人間だと思っていない。それが、我慢できなかったんだ」と答えている。

杉原千畝が「日本のシンドラー」と言われる所以となった「命のビザ」発行の5年前のことである。

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文/ガイドアメディア編集部
編集:Taro

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