サムエル・コッキング (1842~1914)

サムエル・コッキングはアイルランド生まれの貿易商で、オーストラリアに移住したのちに1868年に横浜に来日、その横浜の外国人居留地55番地にコッキング商会を開設しました。
商会で財を成し、江の島の景観と植物を愛したコッキングは、妻 宮田リキ名義で江の島に土地を購入。
別荘の他に和洋折衷の大規模な植物園を開設しました。
これが現在の江の島サムエル・コッキング苑の基礎となっています。
コッキングは晩年、人々との交流や福祉・慈善事業にも力をいれ、1914年に横浜市平沼の自宅で永眠しています。
サムエル・コッキング 年譜 【年号(西暦) 年齢】
【天保13 (1842) 年 0才】
・イギリス領アイルランドに生まれる
【嘉永 1 (1848) 年 6才】
・両親と共にオーストラリア・アデレードに移民する
【嘉永5 (1852) 年 10才】
・居をメルボルンに移し金鉱採掘に従事する
【1861年頃 19才頃】
・英国の遺産を相続し、 英国に帰国する
【明治 1(1868)年 26才】
・同志と船を手に入れ、 積み荷を神奈川に運ぶため、 日本に向かう
【明治2(1869)年 27才】
・荒天で江の島 (Notch Island) 近辺をさまよう、3月5日初めて横浜に到着する
【明治 3(1870) 年 28才】
・東北諸藩を旅し宮城県石巻に滞在、大名屋敷に出入りして書画骨董の鑑賞の機会に恵まれる
【明治 4(1871) 年 29才】
・横浜居留地 (関内) 55番地に商会を開設する
【明治 5(1872)年 30才】
・宮田リキ (当時25才)と結婚する
【明治 10 (1877)年 35才】
・9月にコレラが大流行し石炭酸等の輸入販売で財を成す
【明治 12(1879) 年 37 才】
・8月16日に妹フランセス・グラスデン・コッキングが横浜で死亡、山手の外国人墓地に埋葬する
【明治 13 (1880) 年 38 才】
・江の島に居住すべく、当時江島神社所有地であった500余坪 (西町200番地)の土地を妻・宮田リキ名義で買い求める
・藤沢台町の大工和助により住宅を建設する
【明治15 (1882)年 40才】
・江島神社所有地旧供御菜園であった3200余坪を買い取る
【明治17 (1884)年 42才】
・横浜平沼新田が完成し、その一部の土地を平沼氏より買い取り石鹸工場を建設する
・11月江島神社に植物園建設の感謝の意を表し、中津宮参道玉垣を寄進、社前に蘇鉄と唐杉の献木をする
【明治 18 (1885)年 43才】
・6月に江ノ島植物園の形態が一応完成する
【明治 19 (1886) 年 44才】
・Illustrated Japan Directory (日本絵入商人録・横浜尾上町佐々木茂市出版) に凸版図入りの広告を出す
【明治 20 (1887)年 45才】
・居留地55番館で火力発電をし、営業許可を取る
・東海道線が国府津まで開通する、藤沢駅は7月11日に開業
【明治 22 (1889) 年 47才】
・植物関係雑誌「Garden」 35巻7号に記事を投稿し掲載される
【明治 27 (1894)年 52 才】
・日清戦争勃発、軍需物資貿易で盛業を極める
【明治 29 (1896) 年 54才】
・電気施設営業権一切を横浜共同電灯会社に譲渡し、55番館より75番館に移る
【明治35 (1902)年】
・江之島電気鉄道 (現在の江ノ電) が片瀬まで開通する
【明治42 (1909) 年 67才】
・ジャパンガセット新聞社発行の Yokohama Semi-Centenial 紙に手記を投稿する。居留地の今昔を語る彼の唯一の残された記事である
【大正 3 (1914) 年 72才】
・2月26日横浜市平沼町1-8にて心臓病で死亡、宮田家墓地に埋葬される
【大正 4 (1915) 年】
・一周忌の命日に横浜市中区相沢の共同墓地に 「賢明院英誉秀徳居士」 の墓碑を 妻 宮田リキ (当時67才) が建てる
参考: 江の島コッキング植物園 温室遺構保全活用調査 報告書 (藤沢市)