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江の島サムエル・コッキング苑Enoshima Samuel Cocking Garden

英国人貿易商が造成した和洋折衷の庭苑跡

英国人貿易商のサムエル・コッキング氏が1882年(明治15年)に造成した和洋折衷の庭苑跡で、現在も温室遺構が残されています。
苑内には、南洋の植物や四季の草花が植えられていて、国際交流をテーマに藤沢市の姉妹友好都市(松本市/長野県・昆明市/中国・マイアミビーチ市/アメリカ・ウィンザー市/カナダ・保寧市/韓国)のコーナーが設けられています。

江の島のコッキング邸


サムエル・コッキングは明治13年 (1880年)、 当時江島神社所有地であった西町200番地の500坪の土地を妻 宮田リキ名で買い求め、住宅を建設しました。
現在の江の島サムエル・コッキング苑と道を挟んで向き合う亀ヶ岡広場がその位置です。
壬生昌延編纂の「江の島図」(明治17年・再版明治25年) に「西洋館」と記されています。
壬生昌延が明治30年に出版した「相州江之島真景」には西洋館および植物園が記されています。



温室の復元想定図


サムエル・コッキングが明治20年頃に巨額の私財を投じて植物園の一画に建設した約1,100㎡の温室は、大正12年の関東大震災等ですべての上屋が倒壊し、煉瓦を主体とした基礎部分や地下につくられた施設のみが残されています。
遺構は南北に長い温室の基礎3つ、東西に長い温室の基礎、西洋風のシンメトリーな形の池、それに温室の北側に設けられた付属施設であるボイラー室、燃料を入れた貯炭庫、植物や暖房の為に水を蓄えた貯水槽、温室と付属施設を結ぶ地下通路、冷たい風を遮るための防風壁や集水用陶管等です。
この温室は明治中期に造られたものとしては、国内で最大の規模を有し、スチームによる暖房設備も当時としては非常に水準の高いものでした。
レンガ造りの温室遺構としては、現存する唯一のもので、近代の文化遺構として非常に貴重なものです。

【左】昭和3年頃の温室遺構 (左写真の中央は牧野富太郎博士 (植物学者))
【右】当時の温室イメージ (当時のカタログ)

サムエル・コッキング (1842~1914)

サムエル・コッキングはアイルランド生まれの貿易商で、オーストラリアに移住したのちに1868年に横浜に来日、その横浜の外国人居留地55番地にコッキング商会を開設しました。
商会で財を成し、江の島の景観と植物を愛したコッキングは、妻 宮田リキ名義で江の島に土地を購入。
別荘の他に和洋折衷の大規模な植物園を開設しました。
これが現在の江の島サムエル・コッキング苑の基礎となっています。
コッキングは晩年、人々との交流や福祉・慈善事業にも力をいれ、1914年に横浜市平沼の自宅で永眠しています。

サムエル・コッキング 年譜 【年号(西暦) 年齢】

【天保13 (1842) 年 0才】
・イギリス領アイルランドに生まれる

【嘉永 1 (1848) 年 6才】
・両親と共にオーストラリア・アデレードに移民する

【嘉永5 (1852) 年 10才】
・居をメルボルンに移し金鉱採掘に従事する

【1861年頃 19才頃】
・英国の遺産を相続し、 英国に帰国する

【明治 1(1868)年 26才】
・同志と船を手に入れ、 積み荷を神奈川に運ぶため、 日本に向かう

【明治2(1869)年 27才】
・荒天で江の島 (Notch Island) 近辺をさまよう、3月5日初めて横浜に到着する

【明治 3(1870) 年 28才】
・東北諸藩を旅し宮城県石巻に滞在、大名屋敷に出入りして書画骨董の鑑賞の機会に恵まれる

【明治 4(1871) 年 29才】
・横浜居留地 (関内) 55番地に商会を開設する

【明治 5(1872)年 30才】
・宮田リキ (当時25才)と結婚する

【明治 10 (1877)年 35才】
・9月にコレラが大流行し石炭酸等の輸入販売で財を成す

【明治 12(1879) 年 37 才】
・8月16日に妹フランセス・グラスデン・コッキングが横浜で死亡、山手の外国人墓地に埋葬する

【明治 13 (1880) 年 38 才】
・江の島に居住すべく、当時江島神社所有地であった500余坪 (西町200番地)の土地を妻・宮田リキ名義で買い求める
・藤沢台町の大工和助により住宅を建設する

【明治15 (1882)年 40才】
・江島神社所有地旧供御菜園であった3200余坪を買い取る

【明治17 (1884)年 42才】
・横浜平沼新田が完成し、その一部の土地を平沼氏より買い取り石鹸工場を建設する
・11月江島神社に植物園建設の感謝の意を表し、中津宮参道玉垣を寄進、社前に蘇鉄と唐杉の献木をする

【明治 18 (1885)年 43才】
・6月に江ノ島植物園の形態が一応完成する

【明治 19 (1886) 年 44才】
・Illustrated Japan Directory (日本絵入商人録・横浜尾上町佐々木茂市出版) に凸版図入りの広告を出す

【明治 20 (1887)年 45才】
・居留地55番館で火力発電をし、営業許可を取る
・東海道線が国府津まで開通する、藤沢駅は7月11日に開業

【明治 22 (1889) 年 47才】
・植物関係雑誌「Garden」 35巻7号に記事を投稿し掲載される

【明治 27 (1894)年 52 才】
・日清戦争勃発、軍需物資貿易で盛業を極める

【明治 29 (1896) 年 54才】
・電気施設営業権一切を横浜共同電灯会社に譲渡し、55番館より75番館に移る

【明治35 (1902)年】
・江之島電気鉄道 (現在の江ノ電) が片瀬まで開通する

【明治42 (1909) 年 67才】
・ジャパンガセット新聞社発行の Yokohama Semi-Centenial 紙に手記を投稿する。居留地の今昔を語る彼の唯一の残された記事である

【大正 3 (1914) 年 72才】
・2月26日横浜市平沼町1-8にて心臓病で死亡、宮田家墓地に埋葬される

【大正 4 (1915) 年】
・一周忌の命日に横浜市中区相沢の共同墓地に 「賢明院英誉秀徳居士」 の墓碑を 妻 宮田リキ (当時67才) が建てる

参考: 江の島コッキング植物園 温室遺構保全活用調査 報告書 (藤沢市)

コッキング商会 (横浜居留地)

サムエル・コッキングは、明治4年30才の時に、横浜居留地 (関内) 55番地に商会を開設しました。
商会では、写真機材や医療器具、自転車等を輸入し、ハッカや百合根といった植物や日本の美術品や骨董品を輸出しました。
絵図にも描かれているように、明治20年には火力発電も行っていました。



「日本絵入商人録」 (1886年出版) にコッキング商会 (上記の建物絵図) が記載されており、 商会のあった居留地の55番地は左記の「横浜外国人居留地火災保険地図 (1895年作成) 内の赤線円部分となります。

コッキング邸・植物園建設当時の江の島 (明治中期)


明治中期の江の島は現在のように島に渡る橋も架けられておらず砂浜も広大で、江の島シーキャンドルや江の島ヨットハーバー等もないことから、一見江の島には見えないが、江の島入口の江島神社青銅鳥居とその街並みは現在の風景にその面影が感じられます。

江の島サムエル・コッキング苑の基本情報

電話番号
0466-23-2444
営業時間
9:00~20:00(最終入場 19:30)
※ イベントによる営業時間延長あり
料金
昼間:無料 
夜間イベント開催時17時以降出場:大人(中学生以上)500円、子ども(小学生)250円
駐車場
https://www.s-n-p.jp
アクセス
小田急片瀬江ノ島駅より徒歩20分
江ノ電江ノ島駅より徒歩25分
湘南モノレール湘南江の島駅より徒歩26分
ウェブサイト
https://enoshima-seacandle.com
住所
神奈川県藤沢市江の島2-3-28

江の島サムエル・コッキング苑の口コミ